キャリア

【冒険者の地図】フリーターから社会人スタートした東野亜矢さんがLINEテストチームの創設メンバーになるまでの軌跡(前編)

LINEヤフーコミュニケーションズ株式会社サービステスト本部 コアサービステスト部 部長東野亜矢さん

国内月間アクティブユーザー数は約9600万人――。

老若男女、誰もが利用するコミュニケーションツール「LINE」については、もはや説明不要のはずだ。ただし、このLINEのサービス品質をどのような人たちが支えているのか、そのことを詳しく知る読者はそれほど多くはないだろう。

この一端を担うチームが福岡県福岡市にある。LINEヤフーコミュニケーションズ株式会社のサービステスト本部だ。この部署にはおよそ330人が在籍し、LINEおよび関連サービスにおける100以上の機能をさまざまな形でテストしている。

ここ福岡にテストの専門部隊が発足したのは2011年のこと。その立ち上げメンバーであり、コアサービステスト部の部長を務めるのが、東野 亜矢さんである。

現在、テスターとして入社してくる8割が未経験者。自らの強みを「人材採用」だとする東野さんは、面接して引き入れた彼ら、彼女らを、仲間たちと共に一から育て上げている。2年前には同社の採用方針をスキル重視からコンピテンシー(個人の能力・行動特性)重視に切り替えた。「面接の段階でその人が入社後に活躍しているイメージが見えるんですよ」と、東野さんはフフフと笑いながら話す。その言葉通り、過去に採用したテスト業務未経験者で、今ではリーダー的な存在として活躍するスタッフが何人もいる。実は東野さん自身も未経験で同社の門をくぐった。

そのような立場からテスト組織を作り、スタッフを育ててきた東野さんの人望は厚い。取材時にもオフィス内で撮影していると、通りかかったスタッフが気軽に話しかけていた。日頃からスタッフの相談や悩みに乗る機会も多いそうだ。

東野さんはいかにしてテストチームで責任あるポジションに上り詰めたのか。前編では、その“型破り”なキャリアを振り返るとともに、チーム組成までの歩みをたどる。

大学卒業後は動画編集とECサイトのバイトを掛け持ち

転勤の多い家庭で育った東野さんは、熊本、広島と移り住み、高校を卒業するタイミングで父親の故郷である福岡へ引っ越すことになった。「だったら、福岡の学校を受けるかな」と、実家から通える大学に進学した。大学卒業後はフリーターに。主に二つのアルバイトで生計を立てた。

一つは映像制作関連。九州で活動するインディーズバンドのライブを撮影し、それを3分程度の動画に編集する仕事に携わった。中学生の頃からミュージックビデオ(MV)を浴びるように見ていたため、音楽の世界には興味があった。

「ケーブルテレビに加入していたのか、実家では『スペースシャワーTV』や『MTV』が映りました。だから毎日見ていましたよ。特定のアーティストが好きだったわけではなく、ただただテレビから流れてくる曲を聴き、気に入ったものがあれば、タワーレコードとかにCDを買いに行っていました。そんな中高生時代でしたね」

映像制作の経験はなかったが、職場の人に教えてもらいながら、「Adobe Premiere」や「Final Cut Pro」といった映像編集ツールを扱うようになっていった。

もう一つのアルバイトがEC関連だ。中古ブランド品をネット販売する会社で、主に商品の写真撮影や簡単なWebサイト更新を行っていた。この時にHTMLやCSSなどを覚えたそうだ。

タウン誌の仕事を得るも1年で休刊に

2年ほどアルバイトをしながら暮らしていたが、なかなか手元にお金が残らない。さすがに危機感を覚えたのか、「きちんと1本の仕事に集中しよう」と、地元タウン誌を発行する会社に勤めることに。広告営業の仕事を志望したが、入社試験時に書いた作文が評価されて編集部に配属された。

「でも、別にライターとして文章を書いていたわけではなく、編集アシスタントとして地元のイベント情報とか、ショップのアポ取りとか、そんなことをやっていました」

ところが、入社してわずか1年で雑誌は休刊に。辞めざるを得なくなって途方に暮れていたところ、友人の父が働く印刷会社を紹介してもらい、そこからの出向で大手旅行代理店の紙媒体制作に関わる機会を得た。具体的には、海外旅行のパンフレットや新聞広告の制作ディレクションを担当した。仕事のアウトプットに対する品質を意識するようになったのもこの頃である。

「例えば、記載された旅行代金の0が1個足りなかったら、数万部刷り直さないといけないどころか、誤った数字を見たお客さんが『この値段で旅行させろ』と言ってくる可能性も当然あります。情報は間違ってはいけないものだという意識が植え付けられました」

この仕事から学ぶことは多かった。ただし、インターネットと異なり、情報を瞬時にアップデートできない紙媒体にヤキモキもした。また、誌面に載せられる情報の制約も煩わしく思うようになった。最終的にはそうした業務環境に限界を感じてしまい、3年ほどで退職した。

就職の動機となったのは……

東野さんが次に取った道は、再びフリーター。「その時は自信過剰で、私なら何でもできる。だから少しフラフラしようと思ったんです。若かったですね」と東野さんは苦笑する。

当初は1年くらい遊び回ってやろうという意気込みだったが、年齢が20代後半に差しかかり、周囲の友人たちは結婚を次々と決めていった。多い時は月に3回も披露宴に呼ばれることもあった。要はご祝儀貧乏になったわけだ。

「貯蓄がすごい勢いで減っていきました。社会保険とかもよく分かっていなくて……。これはダメだなと」

フリーター生活を半年で切り上げた東野さんは就職活動を始めた。とはいえ、明確に「これをやりたい!」という仕事はなく、最初に内定をもらった会社に入ろうと、あくまでも楽観的だった。

結果論だが、それが人生における大きな意思決定となった。これまでいくつもの職場を転々としていた東野さんが10年以上も腰を据えている会社に出会ったのだから。そうして2009年1月、東野さんはLINEヤフーコミュニケーションズの源流である、インターネットサービス会社に入社することになったのだった。

ゼロからテストやQAを学ぶ

東野さんが同社を知ったのは偶然で、転職サイトか何かで「福岡に新しいネット企業ができる」という情報を目にしたのがきっかけだった。

「漠然とWebコンテンツなどに興味を持ちつつも、どういった仕事が職種として成立しているのか、運営の裏側はどうなっているのかはよく知りませんでした。何となく面白そうだなと思って説明会に行きました」

そこからトントン拍子で採用試験をパスした。福岡の初期メンバーは15人ほど。その後、事業形態が大きく変わったとはいえ、現在の100分の1以下の規模だったとは驚きである。

最初の1年間はネットサービスのローンチに向けた準備作業が中心だった。ただ、他のチームの業務がひっ迫するとそちらにも駆り出されるなど、与えられた仕事を何でもやるような状況だったという。

いざサービスがリリースされて、ユーザーが増えていくに従い、今度はサービスの品質を担保、向上するためのテスト業務が必要だとなった。親会社にはオンラインゲーム事業があり、既にそこにQA(Quality Assurance:品質保証)やテストに関わる人材がいた。そのため、それまでは必要に応じてネットサービスのテスト業務も掛け持ちしてもらっていたそうだ。ただし次第に、会社や組織をまたいだ業務依頼は健全ではないという判断がなされ、福岡にネットサービス特化のテストチームを新設することとなった。そのリーダーとして東野さんに白羽の矢が立ったのである。

(提供:LINEヤフーコミュニケーションズ)

けれども、テストのことはまるで分からない。東京本社に1カ月程度出張して研修を受けたり、JSTQB(Japan Software Testing Qualifications Board)に準拠したテストの書籍を読んだりしながら必死に学んだ。

「実務をやっていない中で、『状態遷移図』や『テスト技法』と言われても、ピンと来ませんでした。今までの仕事では実務経験で学ぶことがほとんど。また、私はあまり理論派ではなかったから、座学で知識を習得することに葛藤がありましたね」

自らのスキルアップと並行して、テストチームを組成するための人材確保も東野さんの役割だった。外部から新たに採用すると共に、ゲーム事業のテスターも正式に招き入れた。不慣れなマネジメント業務をこなし、何とかテストチームの立ち上げにこぎ着けた東野さんら8人のメンバーは、2011年3月1日に新たなスタートを切った。

その10日後、東日本大震災が発生する。

(後編に続く)

LINEヤフーコミュニケーションズ株式会社サービステスト本部 コアサービステスト部 部長東野亜矢さん

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