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企業のアジリティに必要な意思決定・仕事の仕方・取り組み方~アジャイルへの潮流
現在、企業活動の重要な要素として「アジリティ」というキーワードが注目されています。DXをはじめとする戦略推進から日々の業務に至るまで、あらゆる局面でアジリティの必要性が提唱されていますが、それを真に理解し実践できている企業は少ないのではないでしょうか。
本講演では、アジリティとは何か、そして、一見困難と思われるアジリティの獲得に向けて、具体的にどのような取り組みを行えば良いかについて解説します。
※この記事は、『ベリサーブ アカデミック イニシアティブ 2023』の講演内容を基にした内容です。
サーバントワークス株式会社
代表取締役
長沢 智治 氏 
変化に適応する時代と複雑適応系
今、ビジネスは日々大きく変化し、企業が生き残っていくためには変化への対応が必須となります。この変化を代表する例として、ビジネスとITの関係性を示したのが図表1です。
図表1:コスト削減の手段だったITが2010年代以降はビジネス戦略の中核となった
2000年代までは、既存のビジネスモデルをベースに自社で意思決定を行いプロダクトやサービスを作るのが一般的で、ITはコスト削減や効率化の手段でした。2010年代に入ると、ITをビジネス戦略の中核とする「テックカンパニー」と呼ばれる企業が現れ、既存のビジネスモデルの破壊が起こり始めます。テックカンパニーでは意思決定の源泉はもはや社内にはなく、それを握るのはマーケットです。市場のニーズに合致したプロダクトやサービスが必要となり、対応できない企業は淘汰されることになります。
以下は、GEのCEOとして名をはせたジャック・ウェルチ氏が残した言葉です。
組織内部の変化が、外部の変化についていけなくなった時、その組織の終わりは近い
■ビジネスモデルの変化の例
先に挙げたテックカンパニーは「ファストムーバー」とも呼ばれ、AmazonやNetflixなどがその代表です。特徴は消費者へのダイレクトタッチで、PCやスマートフォンを通して直接コンタクトすることでマーケティングデータを入手し、そのデータを基にさらに機敏に次のアイデアやビジネスへとつなげていきます。
彼らが特に重視するのが「ユーザー体験」で、DXの文脈でもよく登場する言葉です。従来のように提供者主体でサービスを作るのではなく、マーケティングデータを基にユーザーが本当に欲しいもの、さらにはその期待を越えるものを提供するのが彼らのビジネスモデルです。
分かりやすい例が、映画と配信ドラマの違いです。映画は最初に大きな予算を取り、長い期間をかけて作ります。ただしヒットするかどうかは公開してみなければ分からない、ある種ギャンブルに近い部分があります。一方、配信ドラマは適切な予算を確保した上で、短いサイクルで提供していきます。そしてユーザーの反応を見て、好評であればSeason 2が始まります。逆にSeason 1が続編をにおわす終わり方であっても、ユーザーの支持が得られなければ打ち切りです。それくらい、ユーザーに寄り添った判断をしていることが分かると思います。
■複雑適応系とは
このように、ユーザー体験を重視し、それに基づく変化が求められる時代を「複雑適応系」と呼んでいます。過去のビジネスには既存の成功例があり、それに倣えばゴールにたどり着くことが事前に分かっていました。行動に比例して結果が伴う、これが「線形」モデルです。
線形モデルにおけるビジネスの進め方は比較的簡単です。まず目指すべきゴールを設定、そこに向かう現在地を定義し、後はやるべきことをやればゴールに到達できます。大事なのはProgress=進捗で、これを効率化すれば良い結果につながります。
一方、行動しても結果が出るとは限らないのが複雑適応系で、これを「非線形」モデルと呼びます。非線形モデルでは、ゴールも現在地も不明な場合がほとんどです。そのため、まず仮説としてのゴールを設定、そこから現在地を把握し、周囲で起こる変化を事実として捉えながらゴールに向かうことで新たな事実を得ていきます。この事実の把握とトライの繰り返しで、ゴールに近づいているかどうかを判断します。場合によってはゴール自体が間違っていることもあり得ますが、それも事実の1つと捉え、また新たなゴールを設定することになります。これが、正解がない時代の歩き方です(図表2)。
図表2:線形モデルでは行動に比例して結果が伴うが、複雑適応系モデルでは行動しても結果が出るとは限らない
線形と非線形のアプローチの違いを示したのが図表3です。線形の場合は正解が明らかなので、工程を決めて適切な人員を配置し、分業化や並列化によって進捗を早めることが可能です。人員やリソースを効率的に使って他社より早く正解にたどり着くことが勝負なので、生産性向上が最重要課題となっています。
一方、非線形の場合は、不確定要素が多すぎるので工程は決められず、ましてや分業などは不可能です。ここでは、ひとまずの成果に対するユーザーの反応を測り、それを受けた意思決定をしてさらにビジネスを回し、取り組み方も都度変えていかなければなりません。従って、必要なのは分業ではなく協働=コラボレーションです。そのため、DXの文脈でも成果とコラボレーションが大事だといわれています。
また、効率化の観点では非線形の場合のリソース効率ではなく、フロー効率が大事になります。仮説としての成果を素早くユーザーに届けて、反応が悪ければ修正し、良ければそれを伸ばす。この速度を上げていくことが重要になります。
図表3:生産性向上が最重要課題である線形モデルに対し、複雑適応系では仮説としての成果を素早くユーザーに届け、ユーザーの変化に反応していくことが重要となる
■複雑適応系での要点
複雑適応系でまず重要となるのは、「目的」です。仮説で構わないので明確なゴールを決定し、それが妥当か否かも検証しながら進んでいくことが大事です。そのために必要なのが「協働」で、誰か1人に依存しない「分散リーダーシップ」という考え方が求められます。最後に重要なのが「一貫性」で、既存の常識や正解に左右されることなく事実だけを見て、それを根拠に判断を下します。これが複雑適応系の時代の歩き方で、プロダクト開発やマーケティングの他、あらゆるビジネスに共通する大事なポイントなので、ぜひ覚えておいてください(図表4)。
図表4:「目的」「協働」「一貫性」の3つの要点は、あらゆるビジネスにおいて大事なポイントとなる
アジリティ
アジリティは、「機敏に動く」ということを意味する言葉です。ただ、それが具体的に何なのか、あるいは自分たちにアジリティがあるのかどうかの判断は難しいと思います。
■アジリティの構造
図表5は、アジリティの構造を説明する例として、ビジネスアジリティならびにプロダクトと人事のアジリティを階層的に図式化したものです。
これらには全て相関関係があり、単独で成立するものは1つもありません。例えば、ビジネスアジリティだけを求めて意思決定を早めたりDXを推進したりしても、そこにプロダクトがひも付かなければうまくいきません。逆に、開発のアジリティを高めるには予算組みを変える必要があるので、ビジネスアジリティが必ず関わってきます。
主事業ではない人事のアジリティも必要です。例えば、1000人の○○人材を採用/育成する、という目標を達成したとしても、その活用は現場任せという形ではアジリティを発揮したことにはなりません。この場合の人事のアジリティとは、事業に必要な人材をタイムリーに採用できる体制を作ることで、マーケティングや開発との関係性が重要になってきます。
図表5:それぞれのアジリティには相関関係がある
■アジリティに必要な要素
アジリティは変化に対応するために重要となる能力です。アジリティを高めるには何が必要なのか、意識するべき4つの要素をご紹介します(図表6)。
図表6:アジリティを高めるためには4つのポイントを意識していただきたい
・変化の検知
専門用語では「Weak signal detection」と言いますが、変化の兆しを捉えることが大事です。しかし、変化に気付けないことも多いので、特定のマネジャーや責任者だけではなく、誰もが意識する必要があります。
・事実の収集
予想や予測、従来の商習慣にとらわれず、客観的な事実のみを収集します。これには、ビジネスやプロダクトに関わる何かを常に計測する必要がありますが、その対象は「成果」が良いとされていて、成果を基にした事実を収集することが重要となります。
・反応
変化を検知して事実を把握したら的確なタイミングで機敏に反応し、フィードバックをきちんとかみ砕いて返します。学習の速度を速め、それに基づく判断の速度も速めること、これがまさにアジリティです。
・効果
機敏に反応しても、効果的でなければ意味がありません。ムダを省いて集中することによってより高い効果を得られます。
アジリティを高めるために必要なことは、この4つだけです。アジリティは難しい、変化にどう対処すべきか分からないという場合には、この4つのポイントを思い出していただければ幸いです。
■経験的アプローチのススメ
アジリティを高める上で大事なのは事実の把握ですが、その検証に効果的なのがEmpirical=経験的アプローチです。描画のプロセスでEmpiricalを説明したのが図表7です。
白いキャンバスに、事実を点として置いていきます。すると、やがておぼろ気に絵が浮かび上がり、最初に仮説として立てた目的やゴールが正しいかどうかが分かってきます。仮説はキャンバスに描いた下絵というイメージで、そこに事実の点を置いていくと、多くの場合は下絵からずれてきます。ただし、ずれたことが悪いわけではありません。Empiricalは、ずれた事実に基づいて何を変えれば良いのかを考え、事実の把握と実験を繰り返すアプローチです。結果として仮説に対する検証が早くなり、的確なゴールに到達する可能性も高くなります。この方法は非常に有効なので、経験的アプローチという言葉だけでも覚えておくことをお勧めします。
図表7:事実の把握と実験を繰り返すことで仮説に対する検証が早くなり、適格なゴールに到達しやすくなる
・EBM
経験的アプローチには、すでに多くの知見があります。図表8は、EBM=Evidence Based Management、つまりエビデンスに基づくマネジメントのフレームワークで、アジリティを計測する際の指標を図式化したものです。
中央に「アジリティ ビジネス価値」、その上に「市場価値」があります。そして重要な指標として「未実現の価値」と「現在の価値」があり、これを測ることでビジネスアジリティの判断ができます。一方、下の「組織的な能力」は組織がアジリティを発揮するための体力を示しています。ここにある2つの指標は先ほどの図表6にあった「反応」と「効果」に該当し、反応が「市場に出すまでの時間」、効果が「イノベーションの能力」です。
図表8:ビジネスアジリティは「未実現の価値」と「現在の価値」を測ることで判断できる
・Scrum
EBMではビジネスアジリティにおける反応や効果を計測するための指標とゴールの設定方法を提示していますが、実際の変化に対応する問題解決のフレームワークが「Scrum」です。こちらの方がおそらく有名で、ご存じの方も多いと思います。
Scrumを使うことで、複雑適応系におけるゴールの設定や事実の蓄積と、それに基づくチーム内での判断を最適化し、より良いものを作ることが可能になります。私が関わった現場でもScrumを効果的に活用する例が増えてきています。
さらに、EBMとScrumを併用することで、予算を決めるビジネスアジリティと現場のアジリティの両方を高められます。従来の現場では、事前に決められた予算をベースに仮の計画を立て、その範囲で変化に対応するケースが多かったのですが、EBMのフレームワークを加えることで柔軟な予算対応が可能になります(図表9)。
図表9:EBMとScrumを併用することで、予算を決めるビジネスアジリティと現場のアジリティの両方を高められる
ソフトウェア思考
MosaicやNetscape Navigatorを開発したマーク・アンドリーセンは、次のように述べています。
”Software is eating the world.” - すべてがソフトウェアになる
これは全ての産業がソフトウェアに飲み込まれていくということを示唆した言葉ですが、ビジネスの考え方がソフトウェアのように柔軟になっていくという意味にも捉えられると感じています。
先に挙げたテックカンパニーと呼ばれる企業は、状況に応じて柔軟な対応ができる点が特徴です。ソフトウェア的な考え方というのが重要で、これによって複雑適応系への対応を可能にしています。
有名な「アジャイル宣言」には、いくつかの原則が定められていて、ソフトウェア開発では20年ほど前から「アジャイル宣言」をベースに変化に適応するための知見が蓄積されています。さらに、現在ではこの原則はソフトウェア開発に限らず、あらゆる分野に適用されているので、皆さんのビジネスにも活用が可能だと思います。
アジャイルの適用事例
- アジャイル適用事例はジャンルを問わず
- ソフトウェア化した世界の価値基準と原則となったアジャイル
- ・新番組の企画開発(NPR)
- ・新しい機械の開発(ジョンディア)
- ・新しい戦闘機の生産(サーブ)
- ・マーケティング(イントロニス)
- ・人事(C.H.ロビンソン)
- ・ワインの生産、倉庫管理、上級幹部の運営(ミッションベル)
- ・全社的な変身(GE)
出典:『臨機応変のマネジメントで生産性を劇的に高めるアジャイル開発を経営に活かす6つの原則』(Embracing Agile, ダイアモンドハーバードビジネスレビュー, 2016 2016)
制御を取り戻し実践する
さまざまな情報があふれる中では、時に自分たちの強みや、必要な対応が分からなくなることもあると思います。こうした時に重要になるのが一貫性です(図表10)。客観的なデータを収集し、事実をしっかり受け止めることが大切ですが、多くの場合、事実を正確に理解している人は少数派です。もし同調圧力で大多数の意見に流されそうな時には、いったん中心部の円に回帰し、一貫性を示す対角線に戻すことが重要になります。
出典:Dave Snowdenの複雑系サブシステムの解説を基に一部改変
図表10:同調圧力で大多数の意見に流されそうな時には、いったん中心部の円に回帰して一貫性を示す対角線に戻す
おわりに
最後に、アジャイル推進の参考になる文献として「Agile Kata(アジャイルのカタ)」をご紹介します(図表11)。これは、マイク・ローザーという人が、トヨタ自動車が実践するルーティンワークについて執筆した「トヨタのカタ」という本にアジャイル宣言の要素を加え、アジャイルな働き方のガイダンスとして発表されたものです。
「Agile Kata(アジャイルのカタ)」は、複雑適応系に沿った内容となっていて、以下のアジャイル推進のフレームワークについて紹介されています。①方向性やチャレンジの理解 ②現状の把握 ③達成可能な次の目標を設定 ④目標とする状態に向かって実験し、得られた事実に基づいて逐一コーチング
トヨタのカタの場合では、コーチングの目安は毎日20分程度といわれています。
出典:「The Toyota Kata Practice Guide 」(Mike Rother Rother)を基に一部改変
図表11:「アジャイルのカタ」は、アジャイルな働き方のガイダンスとなっている
実は先ほど紹介したScrumも同様のアプローチを取っていて、Scrumは難しそうという場合でも、これを参照することで複雑適用系への取り組み方がつかめると思います。また、ソフトウェア開発だけでなく、その他のビジネスにも適用が可能です。日本語版も無料で読めるので、ぜひ参考にしていただければ幸いです。
https://www.servantworks.co.jp/resources/agilekata/
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