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正解がない時代のプロダクト開発

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社会や顧客のニーズが見えにくい時代にあって、プロダクト開発の仕方も変わりつつあります。本講演では、今私たちが意識したいプロダクト開発における注意点、プロダクト開発を支える組織のあり方、品質との向き合い方について、自著『ソフトウェア・ファースト』の内容を交えつつお話をさせていただきます。

※この記事は、『ベリサーブ アカデミック イニシアティブ 2020』の講演内容を基にした内容です。

及川 卓也

Tably株式会社 代表取締役
Technology Enabler
及川  卓也 氏 

プロダクトの時代

1.価値と需要の変化

この10~15年の間に世の中は大きく変化してきました。端的に言うと、顧客に対して提供する「価値」が変わってきている、逆に言えば顧客や社会が求めているものが大きく変わってきていると言うことができます。

その顕著な例を私たちは音楽産業の中に見ることができます。かつてアナログレコードからCDへと音楽メディアは大きく形を変えました。その後さらにメディアを必要としないMP3ファイルが主体となっていきました。しかし、レコード、CD、MP3はいずれも販売・購入を経て所有するという性格においては大きな違いはありませんでした。ところが現在では「所有」ではなく、「いくらでも利用できる」という価値が求められるようになりました。いわゆる聴き放題というスタイルが一般的になり、その結果、人と音楽の関わり方も変容しました。例えば昔の私なら好きなアーティストの曲だけを指名買いしていたものですが、聴き放題が可能となった今は、知らない曲でも積極的に聴き、誰かが「この曲いいよ」と言えば試しに聴き、「今どきの若いアーティストもいいじゃないか」と、より幅広い体験を楽しめるようになりました。

「所有」から「利用」、「体験」へと価値が変化したのは音楽産業だけでありません。今や世の中のさまざまなところで同様のことが起きています。背景にあるのはビジネスモデルや収益体制そのものの変化です。かつての音楽は一度購入すればユーザーの所有となり、提供する側からすれば「買ってもらえるかどうか」を軸としてビジネスが成り立っていました。ところが聴き放題に代表されるようにサブスクリプションというスタイルが一般的になると、企業は顧客に「使い続けて」もらわないと収益を上げられなくなります。例えば、ゲームの世界では特別な武器やアイテムを使いたい時、ユーザーは課金をしなければなりません。そこでメーカーは課金し続けてもらうために魅力あるアイテムを提供し続ける努力をする。そうすることでゲームソフトをいかに使い続けてもらうかというビジネスモデルが成り立っているのです(図1)。

顧客価値、社会の需要とビジネスモデルの変化

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図1:顧客価値、社会の需要とビジネスモデルの変化

一方、価値の変化とともに、人々や社会の需要を把握することも困難になりつつあります。 現代はVUCA(Volatility=変動、Uncertainty=不確実、 Complexity=複雑、Ambiguity=曖昧)の時代と言われますが、人々の需要も複雑化、多様化しています。かつての高度成長期は世の中無いものだらけで、安く質の良いものを提供すればビジネスが成り立つ時代でした。人々の需要もシンプルかつ明確で、夏暑くなれば扇風機、技術が進化すればエアコンといった具合でした。例えば二十代男性ならこれ、三十代女性ならこれといった具合に、典型的なデモグラフィック属性に基づくことで比較的簡単に需要を予測することができました。ところが今、私たちの身の回りにはすでに物が溢れ、昔のようには需要が見えなくなってきています。時には自分の欲しいものすら分からない。欲しいものを見つけてもすぐに変動してしまう。まさにプロダクトを取り巻く世界にもVUCAの時代が到来しているわけです。

2.見えない需要を見つける

こういった時代において、人々が本当に欲しいと思うもの、あるいは継続的に使い続けてもらえる魅力的な商品やサービスを模索することは非常に難しくなってきています。勘や直感で正解を導くことは天才的なヒットメーカーでなければ不可能です。結局のところ、一つ一つ仮説を立て、その仮説を何度も検証していく、この仮説と検証を素早く繰り返していくことが、現代のものづくりには大切になっていきます。
この時必要となってくるのが「ユーザー接点」です。例えば、リテール(小売)の分野ではキャッシュレス決済が普及しつつありますが、その目的の一つは、できるだけ多くの顧客、多くのショップに利用してもらうことによって膨大なユーザー接点を獲得することにあります。このユーザー接点の蓄積から顧客の行動情報を取得する、さらにそこから需要を読み取ることでプロダクトやサービスの将来の姿を考えていくわけです。

もう一つ大事な事実としてお話したいのが、ITの位置付けの変化です。かつて、ITは人がやっていたことを機械に置き換えるというものでした。しかし、今はそもそも人ができないことを行う、という位置付けに変化してきています(図2)。この流れについて婚活サービスを例に説明しますと、昔のお見合いは、その前提として町内の結婚適齢期の男女のデータ(趣味嗜好や学歴や年収など)というのは町内会の世話好きのおじさんやおばさんの頭の中にありました。時代が進むと、これをコンピュータでデータベース化してマッチングしていくようになる。しかし、これは従来人がやっていた作業をITに置き換えたもので「守りのIT」または「SOR=System of Record」と呼ばれるものです。
これに対して、データベースの照合レベルではなく、膨大なユーザー接点の中から、例えばフェイスブックへの何気ない投稿などから、投稿した本人も気付かないような微妙なシグナルを読み取ってその人の趣味・嗜好を分析し、そこから出会いをレコメンドするという方法が現代の婚活サービスに取り入れられています。このような顧客とのつながりや出会いのためのIT活用は「攻めのIT」「SOE=System of Engagement」と呼ばれ、CRM(顧客関係管理)やMA(マーケティングオートメーション)など、顧客とのつながりを強くし、いかに顧客への価値を最大化するかを考える上で役立てられています。また、膨大なデータをいかにして取得しどのように分析するか、そこからどのような洞察を得るかという「SOI=System of Insight」という仕組みも必要になります。

ITの位置づけの変化

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図2:ITの位置づけの変化

プロダクトの開発

1.プロダクトとは何か

このように社会や顧客のニーズが見えにくい時代にあって、プロダクト開発の仕方も変わりつつあります。
プロダクトとは何かについてあらためて考えてみましょう。プロダクトにはユーザーの期待しているものに応えるという大きな使命があります。大前提として、プロダクトはそのプロダクトが考える未来像、どのような世界にしたいかという「プロダクトビジョン」を持っていることが非常に重要です。その世界の住民(ユーザー)が理想的な状態になるのを妨げている課題を解決する。これこそが、プロダクトの大きなゴールとなります。

2.品質をどのように考えるか

プロダクト開発のプロセスにおいてはさまざまな局面で意思決定が求められます。例えば「プロダクトの設計においてエラー処理をどこまで考えるべきか」「ソフトウェアの実装段階で、見つかったバグをどこまで修正するか」などは典型的な例です。そして、これら意思決定において重要な判断材料となるのが「品質」です。重要なのは、プロダクトチーム内における「品質」についての定義統一であり、その品質基準を事前に明確にしておくことです。また品質責任についてはプロダクトチーム全員で負うことも大切です。

それでは改めて「品質」とは何でしょうか。それは「ユーザーが望む価値をどこまで提供できているかの尺度」と考えることができます。
ここではユーザーの求める価値に焦点を当てて品質をモデル化した東京理科大学の狩野紀昭先生による「狩野モデル」を紹介します。狩野モデルでは品質は3種類に分類されます(図3)。最初が「当たり前品質」と呼ばれるもので、文字通り「あって当たり前」の基本品質です。自動車で例えるなら「アクセル(踏めば走る)」「ハンドル(回せば曲がる)」などがこれに当たります。次に「一元的品質」でこれは性能品質とも呼ばれ、図右上に向かって性能が良くなるほど顧客の満足感も上がります。自動車では燃費性能やインテリアなどが該当します。最後に「魅力品質」がありますが、これは一種の差別化要因であり、魅力品質が高いほど顧客満足感や購買欲求も高まります。

狩野モデルにおける3つの品質

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図3:狩野モデルにおける3つの品質

この3種類の品質にはそれぞれ注意すべき点があります(図4)。まず「当たり前品質」は「あって当たり前」なので、いくら充足させても顧客満足度は上がりません。ここにこだわり過ぎることは過剰品質につながる恐れがあります。「一元的品質」は重要で、この品質の充足度を高めていくと「魅力品質」よりも顧客満足度が高くなることがあり、しっかりコストをかけて作り上げていく必要があります。また「魅力品質」は非常に高い顧客満足度をもたらしますが、普及した瞬間に「当たり前」になってしまうことがあります。例えばかつては「魅力品質」であった自動車のABS(アンチロックブレーキ)なども、現在では多くの自動車に搭載されるようになりました。「魅力品質」は常に変容するものだということに留意する必要があります。

狩野モデルでの注意点

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図4:狩野モデルでの注意点

プロダクトの品質について狩野モデルを用いて考えるなら、「当たり前品質」+「一元的品質」+「魅力品質」と足していき、さらにプロダクトごとに重み(重点)がありますから、これらを掛け合わせた総和こそ「品質」となります(図5)。「求められている品質はどの品質であるか?」マーケット、顧客、プロダクトに応じて判断し、チーム全員で合意することが重要となります。

狩野モデルを用いてのプロダクト判断

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図5:狩野モデルを用いてのプロダクト判断

3.2種類のユーザーへの対応

メモアプリで有名なエバーノートの創業者のフィル・リービンは、プロダクトに対する人々の反応には2種類あると語っています。一つは「良い体験が得られたことに対してYesという人」であり、もう一つは「不満に対してNoという人」です。前者はメリットに目を向け「これ欲しいね」と考え、後者は「あれがない、これがない、使いにくい」とデメリットに目を向けます。
これに対してフィルは狩野モデルと同じ図を用いて「Yesという人にはYesと言わせ、Noという人には黙っていてもらおう」と言っています(図6)。このNoという人というのは「当たり前品質」にこだわる人であり、この人たちに向けて一所懸命ケアしても「買う理由」は生まれません。一方、Yesという人は魅力品質に目を向けて評価をします。初代のiPhoneが発売された時、コピー&ペースト機能がないことに不満をならす人(Noという人)が大勢いましたが、他方にはiPhoneならではのインターフェース、あのタッチの快適な体験を「これ、いいね」と賞賛し購入する人々(Yesという人)がいました。

3つの品質の充足度と顧客の満足度の関係

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図6:3つの品質の充足度と顧客の満足度の関係

これと同じことをクレディセゾンのCTOである小野和俊氏もその著書『その仕事、全部やめてみよう』の中で、「谷を埋めるな、山を作れ」という見事な言葉で説明しています。つまり、足りないところを埋めていくことは分かりやすいので誰もがやりたくなるのですが、本来は山(魅力品質)を作らない限りプロダクトは人々の心に響かないということです。この山を作るということを意識して、私たちは「品質」を考えていくことが大事かと思います。

プロダクトの組織

では、プロダクトを作る時、いったい誰が何をすればいいのでしょうか。
まずプロダクトマネジャーという存在があります。これはプロダクト組織におけるCEOと呼ばれています。 もちろん本来のCEOではなく、人事権なども持たない「ミニCEO」です。開発から品質保証、法務、マーケティング、広報など組織横断的にチームを率い、プロダクトにおけるすべてのフェーズに関わりその都度必要な意思決定を下します(図7)。そして高いビジョンと熱意、全体を見通す能力によってプロダクトを成功に導くことが求められます。
プロダクトマネジャーがプロダクトの成功に責任を持ち、「何を作るか(What)」を決定するのに対し、エンジニアはそれを「技術的にどのように実現するか(How)」を担い、かつ責任を負います。さらにプロダクトには、エンジニアリングマネジャーが関わります。
こちらは直接プログラムを書くわけではありませんが、エンジニアの生産性と創造性を発揮するための組織作りを通してプロダクトの成功にコミットしている存在です。このように、プロダクトマネジャーとエンジニアリングマネジャー、そしてエンジニア、デザイナーなどが個々に、パーフェクトに仕事をすることで良いプロダクトは生み出されていきます。

プロダクトマネージャの役割

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図7:プロダクトマネージャの役割

プロダクトマネジャーの存在は日本でもここ4、5年の間に認知が広がっています。しかし反面で、これを曲解し、極端な分業制を進めてしまっている例も見られます。何を作り、何を目指すか、その最終決定を下すのがプロダクトマネジャーであったとしても、プロダクトの全員が事業の利益、ひいてはユーザーの体験をベストなものに仕上げるという「プロダクト志向」の思いを共有することは重要であり、一人一人がプロダクトのオーナーであるという“オーナーシップ”を持つ、そのような組織が一番強い、と私は考えます(図8)。

強い組織を生むために必要となる「プロダクト志向の共有」

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図8:強い組織を生むために必要となる「プロダクト志向の共有」

おわりに

エンジニアの中にはプログラミングが得意な方や実装が大好きという方がいます。とてもよく分かります。しかし、やはりその先にある「プロダクトを作る」というところを意識することで物作りの面白味は生まれます。コードを書く人であれば、そのコードの一行一行の向こう側にユーザーを意識し、どういったロジックで、どのような最適化を施していくかというようなことを考えながら書いていく。そのようにして書かれたコードの集合体であるプロダクトはとても魅力の高いものになると思います。


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