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「生涯一エンジニア」を貫くウルシステムズ・漆原茂氏は、いかにして業界屈指の精鋭技術集団を作り上げたのか(前編)

ウルシステムズ株式会社代表取締役会長漆原茂さん

1987年に東京大学工学部を卒業し、沖電気工業入社。 1989年より2年間、スタンフォード大学コンピュータシステム研究所客員研究員として留学。2000年7月、ウルシステムズ株式会社を創業、代表取締役社長就任。2006年に大阪証券取引所(現・東京証券取引所)JASDAQ スタンダードに上場。2022年5月から現職。

今でも夜な夜なプログラミングに没頭する経営者

2000年創業のウルシステムズ株式会社(以下、ウルシステムズ)は、日本のIT業界屈指の精鋭エンジニア集団として広く知られるITコンサルティング企業だ。

一般的なSI企業のビジネスモデルは、発注者たるクライアントからシステム構築案件を受注して開発業務に当たるのに対し、ウルシステムズは発注者側に入り込んで、発注者と共にシステムの企画・設計やプロジェクトマネジメントに従事するという、独自のビジネスモデルを武器にする。

特に大規模かつミッションクリティカルなシステムの構築には定評があり、例えば全日本空輸株式会社(ANA)の国内線予約システム「ANA SKY WEB」や、楽天カード株式会社の基幹システムの全面刷新など、これまで数多くの大型プロジェクトを成功に導いてきた。

そんな同社の創業者で、現在は代表取締役会長を務める漆原茂氏。敏腕経営者であると同時に「生涯一エンジニア」を貫く根っからの技術者の顔も持つ。企業経営で多忙を極める中でもほぼ毎晩のようにプログラミングに没頭するという。

「最近ハマったのは、生成AIのRAG(Retrieval-Augmented Generation:検索拡張生成)技術ですね。Embeddingでベクトル化のコサイン類似度を計算していました。でもいろいろと検証してみた結果、価値ある良いデータを準備する方が、アルゴリズムよりずっと大切であることが分かりましたよ」

そう目を輝かせて語る漆原氏の技術者としての素養は、早くも幼少時代から開花していたようだ。根っからの理系人間で、数学や物理は大の得意である一方、文系科目はからっきしダメ。中高生のころには自作PCの製作に没頭し、進学した東京大学工学部では当時世界最速クラスの画像処理用並列処理ボードの研究に励んだ。

このような経歴をたどれば、そのまま大学院に進学して研究者としての道を歩むケースも多いだろうが、漆原氏は一般企業に就職する道を選ぶ。

「大学より民間の方が進んでいる分野があるし、お金もいっぱい持っていることに気付いてしまったのです。それに僕は研究者タイプではなく技術を社会実装することにやりがいを見いだすタイプ。早くシステム開発ができる場に行きたかったんです」

日本のIT業界の歪な構造に一石を投じるべく起業

新卒で入社したのは、大手電機メーカーの沖電気工業。当時の沖電気は、ミニコンのハードウェアからOS、ミドルウェアまでを自社開発していた。こうした環境に身を置くことで「何となくスーパーコンピュータのような“でかくてすごいモノ”が自由に作ることができそうだと思ったんです」と、漆原氏は入社理由を振り返る。

入社3年目には米国のスタンフォード大学に客員研究員として赴任。世界最先端のIT技術が集積するシリコンバレーの地で自身の技術力に磨きをかけるとともに、世界中から集まったトップクラスの若き頭脳たちと交流を深めた。

2年間の留学を終えて帰国すると、当時日本のIT業界に押し寄せていた「オープン化」や「UNIXブーム」の潮流の最前線で奔走した。海外ベンダーのさまざまな製品を日本に持ち込んでクライアントに販売して回ることになる。当時を振り返って「本当にエキサイティングで面白い日々だった」という漆原氏だが、同時に日本のIT業界の在り方に疑問を呈するようにもなっていた。

「多くのIT企業が本業のシステム開発ではなく、海外製品の再販や運用保守で利益を得ようとする風潮がありました。また、多重下請け構造の中で多くのエンジニアが酷使されており、疲弊してやりがいを見失っている状況が散見されました」

こうした歪な構造に取り込まれることなく、かつエンジニアが働きがいを感じられる魅力的な仕事ができる環境を実現する方法はないものだろうか。逡巡した結果、漆原氏がたどり着いたのは、自身が理想とするビジネスモデルを体現する会社を立ち上げることだった。

会社の空中分解の危機をMBOによって乗り切る

こうして漆原氏は2000年7月、自身の名前を社名に取り込んだウルシステムズを設立。日本のIT業界の悪しき風習を打破すべく目指したのは冒頭でも紹介した通り、「受注者として発注者と対峙する」のではなく「発注者側に入り込む」という、これまであまり例のない斬新なビジネスモデルだった。

「例えば、システム開発プロジェクトの炎上を鎮火しようとして受注側の開発人員を大幅に増強してもあまり効果はありません。でも発注側に“ちゃんと分かっている人”を数人加えるだけで、状況が好転することは往々にしてあります。発注側が欲しいものを自分で設計し、いざとなれば開発できることの価値。まさにこの点に注力すべきだと考えたのです」

このような理念を掲げて起業した漆原氏だったが、創業初期からの数年間は理想と現実のギャップに悩む日々だったという。

「どうしても外部投資家を意識すると短期的なリターンばかり追い求めてしまいます。来る案件はすべて引き受けて、とにかく売り上げを伸ばすことを最優先していました。結果、売り上げは年々倍増したのですが、一方で社内の雰囲気はどんどん悪化していきました」

売り上げを重視するあまり、自分たちが目指していた方向性に合致しない案件までも引き受けていた。結果、メンバーのモチベーションは低下し、プロジェクトの炎上も相次いだ。

「このままではいけない。本来やりたかった方向に軌道修正しなければ、組織が空中分解してしまう」

危機感に駆られた漆原氏らが最終的にとった手段が、経営方針の大転換と会社の株式を経営陣が買い取るMBO(Management Buy-out:マネジメントバイアウト)だった。

「売り上げを抑えてでも”会社の中身を良くする”方向に転換する必要がありました。拡大ではなく良い仕事を選ぶ。そのために株主構成を自分たち中心に変える。MBOをすると資金の後ろ盾がなくなりますので、経営上は新たなリスクを抱え込むことになります。しかし僕には『これだけ強力なメンバーがいれば、絶対に何とかなる』という確信がありました。実際、この混乱で会社を去った社員は誰一人としていませんでした」

これ以降、漆原氏はいたずらに数字を追いかけるようなことを完全に捨て、本来の起業の精神に立ち戻って「取り組みがいのある案件」「価値のある仕事」しか引き受けないようにした。現在に至るまで単なる売り上げ目標は設定していないという。

「ウルシステムズはエンジニアの善意で集まっている会社です。メンバーの内発的な動機が生み出す圧倒的なパワーや没頭力こそが最大の武器なんです。これをお金のような外発的な動機で引っ張ろうとしても限界があります。当時から『どうすれば“エモい”エンジニア組織を作れるのか?』ということを考え続けているのですが、これは私にとってもはやライフワークです。生涯かけて取り組みたい研究テーマです」

新人でもエベレストしか登らせない

会社の経営方針を大転換するのと時を同じくして、新卒採用にも本腰を入れ始めた。起業直後は、即戦力として中途採用の人材のみを採用してきたが、やがて「どうしても入社したい」という学生からの問い合わせが増えてきた。そこで試しに数人の新卒を採用してみた。

当初は「うちのレベルに新卒が付いて来られるだろうか?」と不安があったものの、実現場に配属すると新人たちは驚くほどのスピードでスキルを身に付け、あっという間に会社の戦力に育ったという。それ以降、同社はコンスタントに新卒を採用するように。2024年度は25人も入社するまでになった。

ちなみに同社は、顧客へのビジネス価値が高く難しい案件しか引き受けないというポリシーがある。そのため入社したばかりの新人も、いや応なしにそのような高難度のプロジェクトに投入されることになる。

「当社には『困難な案件ほどワクワクする』というチャレンジ精神旺盛なエンジニアが集結しています。登山に例えれば、ピクニック気分の日帰り登山ではなくエベレスト踏破を目指しているのです。そのために必要な装備や技術を日々磨き続けています。そうした環境に新人がいきなり放り込まれると、当然のことながら初めは苦労の連続ですが、やがて驚くほど速いスピードで成長していってくれます」

ただし、若ければ誰でもそのような成長を遂げられるわけではない。高難度のミッションに対応できるだけの潜在力を持つ人材をしっかり見極めて採用する必要がある。そのためにどんな工夫をしているのだろうか。

「面接ではその人の本音を徹底的に引き出すようにしています。私ももちろん最終面接をします。お互い本気で話せばその人の真の成長力は把握できます。また高いポテンシャルを持つ優秀な人材でも目指す方向性が合致しない場合は採用しません。『今後の人生を考えれば、他社に行った方が幸せだよ』とアドバイスすることもあります」

こうして選び抜いた新卒人材が、入社後にミスマッチを感じて早々に離職するケースはほとんどないそうだ。事実、同社の離職率は、中途採用であってもほんの数パーセントだという。

顧客から支持されるチームがあれば不況など関係ない

現在、ウルシステムズに所属する従業員の数は551人(2024年5月1日現在)。かなりの大所帯に成長した。しかし漆原氏はまだまだ先があるという。いたずらに拡大路線に走らず、あくまでも「質・中身重視」の組織運営を貫き成長していくと語る。

「僕が経営者として自慢できることは2つしかないです。1つは経営悪化を理由にリストラをしたことが一度もないこと。もう1つは、どれだけお客さんと対立したとしても本音で真摯に対応してきたことです。前者はとても大切にしていて、どれだけ業績が悪化しても『このチームがいれば何年後かには絶対に挽回できる』と信じてやってきました。逆に数字を無理やり捻出するためにチームを壊してしまうと、二度と取り返しが付きません。かけがえがないのは、お金で買えない最高のチームの方です」

顧客との関係も同様。お互い本音で話すから厳しい議論にもなるが、問題を見て見ぬふりしたり他責にしたりすることは一切ない。だから後で大もめになることもない。結果、「ウルシステムズのこのチームとならぜひ一緒にやりたい」と高い信頼を寄せてくれるクライアントと、長期に渡って強固な関係性を築き上げてきたという。その多くは誰もが知る大手企業。その中枢でイノベーションを率いる人々と一緒に仕事をすることで、自社の従業員も大いに刺激を受けているという。

「大企業のビジネスサイドで本気でイノベーションを起こそうとしている人たちは、本当にかっこいいと思います。そういう人たちに『ぜひ一緒にやりましょう』と頼まれたら本望ですよ」

こうして「挑戦するクライアント」と「本気のエンジニア」が切磋琢磨しながら、互いに高度なスキルと知見を持ち寄りながら業界最難関の高峰の登頂を目指して険しい道を進む。ウルシステムズには、そんな難プロジェクトになればなるほど「燃える」という腕自慢のエンジニアたちが自然発生的に集まり、いつしかIT業界において「屈指の精鋭集団」として知られるようになった。

「起業して以来、リーマンショックや東日本大震災、コロナ禍など、さまざまな環境変化に見舞われてきました。でも幸いなことにお客様は一貫して私たちのことを高く評価してくださいます。おかげさまで会社としても順調に成長を続けています。今後もこうした期待を上回れるよう、起業時の信念を大事にしていきたいと考えています」

謙虚な口ぶりで語る漆原氏だが、その表情は揺るぎのない自信に満ちあふれていた。

(後編に続く)

ウルシステムズ株式会社代表取締役会長漆原茂さん

1987年に東京大学工学部を卒業し、沖電気工業入社。 1989年より2年間、スタンフォード大学コンピュータシステム研究所客員研究員として留学。2000年7月、ウルシステムズ株式会社を創業、代表取締役社長就任。2006年に大阪証券取引所(現・東京証券取引所)JASDAQ スタンダードに上場。2022年5月から現職。

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