アカデミック

大企業からベンチャー、そして研究者へ 京都産業大学・井上博之教授が多様なキャリアで得たもの(前編)

京都産業大学情報理工学部 教授井上博之氏

大阪大学大学院を修了後、住友電気工業株式会社でUNIXワークステーションや通信機器の研究開発を担当。その後、インターネット関連ベンチャーにて、ネットワーク関連企業のコンサルティングや企業の立ち上げなどを担当。広島市立大学大学院 情報科学研究科の准教授を経て、現在は京都産業大学 情報理工学部の教授として、組込みシステムの情報セキュリティ、特に広域ネットワークにつながる家電や自動車のセキュリティにおける、その脆弱性やセキュアな通信プロトコルに関する研究開発を行っている。博士(工学)。他に、セキュリティ・キャンプ全国大会講師およびプロデューサー、SecHack365トレーナーおよびコースマスター、SECCON実行委員など若手向けの人材育成に従事している。

2015年、米国で走行中のフィアット・クライスラー・オートモービルズの「ジープ・チェロキー」が遠隔ハッキングされる事件が世界を震撼させた。この出来事をきっかけに、車載ネットワークのセキュリティが一躍注目を集めることとなった。

ちょうど同時期、日本において実車を用いた車載セキュリティの攻撃に関する研究に取り組んでいた数少ない研究者が、京都産業大学 情報理工学部の井上博之教授である。大阪大学を卒業し、住友電気工業でUNIXワークステーションの開発に携わるなどした後、アカデミックの世界へと転身。現在は車載イーサネットやSDV(Software Defined Vehicle)といった次世代車載ネットワークのアーキテクチャとセキュリティを研究している。

分解したり、感電したりした幼少期

井上教授と電子機器との出会いは幼少期にまでさかのぼる。その原点は「分解」への好奇心にあった。

「小さい頃からいろいろなものを分解していました。よくある話ですが、感電したこともあります。小学生の時には既にはんだごてを使っていて、AC100Vを扱う電子工作もしていました」

きっかけは、親がたまたま買ってきた『子供の科学』という雑誌だった。読んでみると面白く、毎月購読するようになった。当時は情報源といえば雑誌くらいしかない時代である。雑誌に載っている回路図を見ながら、自分で基板を作るなどして電子工作を楽しんでいた。

中学校では科学技術部に所属。そこには、ものづくりに対して並々ならぬこだわりを持つ顧問の先生がいた。

「旋盤などの工作機械を使って本格的なものを作っていました。蒸気機関を制作したこともあります。お湯を沸かしてピストンが動くものを、金属部品をゼロから全部切り出して、最後にロウ付けをして完成させる。今考えると、中学生がやることとしては結構凝っていましたね」

この経験は、単に技術的なスキルを身に付けただけではなかった。工具の正しい使い方、安全な作業の仕方、そしてものづくりの基本姿勢までたたき込まれたのである。

先輩から借りたPCで習熟度を高める

コンピューターとの出会いは、NECの「PC-8800」シリーズや「PC-9800」シリーズが登場した中高時代だった。しかし、当時のPCは高価で、中高生が簡単に買えるものではなかった。

「お店に置いてあったPCを勝手にいじっていました。家からフロッピーディスクを持っていって、そこでプログラムを保存して、次に行った時にまた続きをやる。当時はそれが文化的にOKだったんですよね。今では考えられないことですが(笑)」

井上教授が最初に触れたコンピューターは、「TRS-80(Model I)」という米国製のマイコンだった。その後、シャープの「MZ-80」が登場し、友人の家にあったものを一緒に触って学んでいった。

転機となったのは、高校2年生の時だった。先輩からNECの「TK-80BS」のキーボード付きモデルを借りることができたのである。

TK-80BS 情報処理学会 コンピュータ博物館より引用 https://museum.ipsj.or.jp/computer/personal/0002.html

「先輩が『もう使っていないから』と言って貸してくれたんです。当時の価格で十数万円程度、今の価値に換算すれば40万円くらいするものですよね。1年間借りていたおかげで、アセンブラも含めコンピューターについてかなり詳しくなることができました」

この体験が大学選びにも影響を与えた。一番得意だった科目は化学だったが、興味があったのがコンピューターだったため、大阪大学 工学部の電子工学科へ進学した。大学では、並列計算機のコンピューターアーキテクチャを専門とする研究室に所属し、さらに知見を深めていく。

そのまま大阪大学大学院へと進み、データフロー計算機のアーキテクチャやシミュレーション手法に関する研究などに従事した。

会社員時代の経験が大きな財産に

1989年、修士課程を修了した井上教授は住友電気工業に入社。ちょうどバブル景気のピーク直前である。住友電工を選んだ理由は、自社製ワークステーションを開発していたからだった。当時、日本で独自のワークステーションを作っていた企業は、住友電工、オムロン、ソニーなどごく一部に限られていた。

「あまり深く考えずに、場所が近いところを選んでしまった感じですね」と井上教授は苦笑するが、無事にワークステーション開発部隊に配属され、UNIX OSの研究開発に携わることに。中でもネットワーク周りを担当したことで、イーサネットの仕組みやTCP/IP、UNIXカーネルの内部構造などについて詳しくなっていった。

井上教授の研究室にある本棚にはネットワーク関連の書籍が並ぶ

当時、社内では電子メールが少しずつ使われ始めていたが、外部システムと接続するネットワークインフラが構築される黎明期だった。井上教授は部署内ネットワークの構築だけでなく、関連会社との接続にも携わることになった。情報システム部門に渡す前の段階で、研究開発部隊だけの情報共有ネットワークのようなものを構築していたそうだ。

この時期に培ったネットワークへの深い知識は、後の研究者人生において大きな財産となる。OSのカーネルレベルからアプリケーション層まで、ネットワークスタックの全体像を理解していることは、車載ネットワークセキュリティの研究においても極めて重要な強みとなっているのである。

ひょんなことから博士課程へ

1995年、30歳となった井上教授は会社からの声掛けもあって奈良先端科学技術大学院大学(NAIST)の博士課程に進むことになった。NAISTは1991年に設立された新しい大学院大学で、井上教授は博士課程の一期生メンバーだった。

井上教授を指導したのは、山口英先生(当時・助教授)だった。山口先生は、日本のインターネット黎明期から活動してきた研究者で、WIDEプロジェクト※1のメンバーとしても知られていた。彼の下でインターネットセキュリティの基礎を学ぶことができた。

※1: 1988年に発足した、日本におけるインターネット研究・開発を目的とした産学連携プロジェクト。大学や企業の研究者が参加し、日本のインターネット基盤の構築や運用に大きな役割を果たしてきた。

ただ、博士号の取得は容易ではなく、論文がなかなか通らずに苦労したという。

「会社からは『取らなくてもいいから、早く仕事に戻ってきてほしい』と言われる始末でした。でも、これではいかんと思って頑張って論文を出して、何とか学位を取得しました」

論文タイトルは「分散WWWキャッシュシステムの自律分散化手法とキャッシュの適応制御に関する研究」。この博士号取得は単なる学位のためだけではなかった。アカデミックの世界へ入る際、博士号は必須の「免許証」となるからだ。

「大学に途中から移る場合、博士号を持っていないとどうしようもないんですよね。新卒なら取得予定でも採用されることがありますが、社会人から転身する場合は持っていないとダメ。後から振り返ると、あの時頑張っておいて本当に良かったと思います」

ベンチャー企業へ転職、そして……

NAISTにいる間に時代は大きく変わりつつあった。住友電工のワークステーション事業は終焉を迎え、井上教授はADSL関連の新規事業に携わることになった。

「それなりにやりがいのある仕事でしたが、ちょうどITバブルの時期で、ベンチャー企業がまぶしく見える時代でもありました」

知り合いからの誘いもあり、井上教授は決意。東京のインターネット総合研究所(IRI)に転職したのである。博士号取得から半年後のことだった。

IRIでは、主にコンサルティング担当として、企業のプロジェクト立ち上げに参画し、技術的なアドバイスを行った。

しかし、ITバブルは2000年代前半に崩壊する。その後も「ライブドア・ショック」などがあり、ネットベンチャー業界は激動の時代を迎えていた。そうした中、井上教授は新たな道を模索し始める。

「会社を辞めて他の企業に転職するという選択肢もあったかもしれませんが、当時はあまりそういうことは考えていなくて、自分でやりたいことを自由にやれる道を探していました」

そんなとき、広島市立大学から講師の話が舞い込んできた。2007年のことである。

「大学の先生は悪くない選択肢だなと。後進の育成にも興味がありましたし、やってみたいという気持ちがありました」

ただし、正直なところ、深い意志があったわけではないという。

「もし縁のない遠い地域だったら、もっと真剣に考えたと思います。家族も反対しただろうし。でも広島(市)なら、地元(広島県)ですし、文化的にも分かっているので」

とはいえ、民間企業から大学に移り、仕事をするのは初めてのことだ。不安はなかったのか。

「実は、IRIにいた頃、東京大学で臨時講師も務めていたのです。社員何人かで一つの講義を分担し、私はネットワークプロトコルの箇所を担当していました。その経験があったので、雰囲気は何となくつかんでいましたし、大学側もまったく講師経験がない社会人だと採用しづらいということも知っていましたから」

こうして井上教授は、エンジニアから研究者・教育者へと転身した。そして、広島の地では新たな研究テーマとの出会いが待っていた。

(後編に続く)

京都産業大学情報理工学部 教授井上博之氏

大阪大学大学院を修了後、住友電気工業株式会社でUNIXワークステーションや通信機器の研究開発を担当。その後、インターネット関連ベンチャーにて、ネットワーク関連企業のコンサルティングや企業の立ち上げなどを担当。広島市立大学大学院 情報科学研究科の准教授を経て、現在は京都産業大学 情報理工学部の教授として、組込みシステムの情報セキュリティ、特に広域ネットワークにつながる家電や自動車のセキュリティにおける、その脆弱性やセキュアな通信プロトコルに関する研究開発を行っている。博士(工学)。他に、セキュリティ・キャンプ全国大会講師およびプロデューサー、SecHack365トレーナーおよびコースマスター、SECCON実行委員など若手向けの人材育成に従事している。

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