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プログラミングとテストの世界を子どもたちへ - フィンランドと日本の児童書著者が語るIT教育への思い(前編)

目次
はじめにー変革期を迎えるIT教育
私たちの社会は、かつてない速度でデジタル化が進んでいます。スマートフォンやタブレット、AIアシスタントが日常生活に溶け込み、子どもたちは生まれた時からデジタル技術に囲まれて育っています。
そのような中、プログラミングやソフトウェアテストの教育は、次世代を担う子どもたちにとって重要性を増しています。日本では2020年度から小学校でプログラミング教育が必修化され、今回登壇するKari Kakkonen氏の出身地であり現在活動拠点としているフィンランドでは、2016年から初等教育でプログラミングが導入されるなど、各国で取り組みが進んでいます。
しかし、「どのように教えるべきか」という本質的な問いには、まだ確固たる答えが見いだせていないのが現状です。特に課題となっているのが、ソフトウェアに関わる抽象的な概念や、プログラミングの基本的な概念を、どのように子どもたちに伝え、教えるのかという点です。大人が大人に教えるにもハードルが高い内容を、従来の教科書的なアプローチで、子どもたちの興味を引き、正しく知識を伝えるのは難しいとされてきました。
このような課題に、独創的なアプローチで挑戦する二人の教育者がいます。上述した『Dragons Out!』の著者・Kari Kakkonen氏と、『ユウと魔法のプログラミング・ノート』の著者である鳥井 雪(とりい ゆき)氏です。両者は「ファンタジー」という形式を用いて、子どもたちにプログラミングとテストの世界を見事に伝えています。制作の背景やストーリー、制作に至った時期や地域こそ異なりますが、ファンタジーという軸でプログラミング教育に携わるお二人に、IT教育に対する考え方や未来について語っていただきました。

Kari Kakkonen氏
カリ・カッコネンはソフトウェアテストと児童文学の作家であり、ソフトウェアテストとDevOpsのコンサルタント兼トレーナーであり、カヤッカーであり、スノーボーダーであり、歌手であり、そして何よりも父親であり夫である。
著書に『Dragons Out!』があり、講師用のプレゼンテーションは、20か国語に翻訳されている(*)。
*参考 https://www.dragonsout.com/p/presentation-for-teachers.html

鳥井 雪氏
1980年、福岡生まれ。 東京大学文学部卒業後、書店でのアルバイトを経て、ベンチャー企業で未経験からプログラミングを習得。 2011年5月に株式会社万葉へ入社後は、Rubyや Railsのプログラマーとして活躍しつつ、女性や子どものためのプログラミング教育普及活動にも力を入れている。
翻訳に『ルビィのぼうけん こんにちは!プログラミング』、著書に『ユウと魔法のプログラミング・ノート』がある。
3,000人以上の若者にプログラミング教育を実践
──まずはお二人のご経歴についてお聞かせください。

Kakkonen:私は1996年からソフトウェアテストの分野で活動に取り組んでいます。当初はSoftware Engineering Service社のプロダクトマネージャーとして働き、プロダクトの成功にどのようにテストの要素が関わるのかについて、大きな気付きを得ることができました。その経験は、テストが製品の成功に不可欠であることを強く実感させられるものでした。
2002年以来、コンサルタントとしてヨーロッパの大手IT企業のテスト戦略策定や品質管理プロセスの改善を支援しています。同時に、企業向けの研修プログラムを開発し、これまでに5,000人以上のテストエンジニアの育成に携わってきました。
教育者としての私のキャリアの転機は、ソフトウェアテストのトレーニングにますます多くの時間を費やすようになった時に訪れました。「なぜテストが必要なのか」という学生の素朴な疑問に答えながら、テストの本質を分かりやすく説明することの重要性と難しさを痛感しています。
国際ソフトウェアテスト資格認定委員会(ISTQB)のボードメンバーとしても10年以上活動し、テスト教育の標準化にも貢献してきました。現在はGofere社で、AIを活用した新しいテスト教育手法の研究開発に取り組んでいます。

鳥井:私は2009年からソフトウェア開発に携わっています。最初はスタートアップでWebアプリケーション開発を担当し、その後、株式会社万葉というSESの会社で、さまざまな現場のプロジェクトに携わりました。その傍ら、Rails Girlsを通じて女性がプログラミングと関わるための活動に携わってきました。その縁で2015年にRails Girlsの創始者であるLinda Liukas氏の『ルビィのぼうけん こんにちは!プログラミング』の翻訳プロジェクトに参加する機会を得ました。この本は、プログラミングの概念をファンタジーのお話の中で伝えていくという、画期的な試みでした。翻訳作業を通じて、プログラミング教育における物語の力を実感しました。
その後、『Girls Who Code 女の子の未来をひらくプログラミング』の翻訳も手がけ、より多くの子どもたち、特に女子児童・生徒にプログラミングの魅力を伝える活動に力を入れてきました。現在は、IT業界のジェンダーギャップ解消を目指すNPO「Waflle」に所属しています。技術教育や進路選択の機会が、性別や背景で差が付くことのない社会を願って活動しています。
ストーリーとキャラクターで技術の本質を分かりやすく伝える『Dragons Out!』の世界
──お二人にお伺いします。子ども向けの技術教育書を書こうと思われた、具体的なきっかけ、あらすじについて教えてください。

Kakkonen:私の場合、きっかけは2015年に参加した教育カンファレンスでした。そこで子ども向けプログラミング教育のセッションに参加し、ソフトウェアテストについての子ども向けの本がないことに気付き、執筆を決意しました。
当時、鳥井さんが日本語訳を担当された、Linda Liukas氏の本がすでに出版されており、同じくファンタジーをコンセプトにしていたのは知っていました。ですが、似たような内容にはしたくなかったので、まず自分のストーリーを書き、その後に読んで参考にしました。
『Dragons Out!』は、ファンタジー世界が舞台です。主人公の騎士とその仲間たちが、ソフトウェアのバグのメタファ(比喩)として表現された、さまざまな特徴を持つドラゴンとの対峙を通じて、ソフトウェアの世界や、テストの重要性と方法を学べる構成になっています。読者は、おおよそ10歳くらいの子どもたちを想定しています。
※日本語で概略を知りたい方はこちらの講師用資料をご参考ください


鳥井:私も子どもたちと同じように、ドラゴンの姿を想像してイラストに起こしながら『Dragons Out!』を拝読しました。ストーリーによって子どもがその世界を体験することで、テスティングのモデルを、概念として持てる点がすごく効果的だなと思いました。時々挟まれるバグの種類やエピソードには、実装者、デベロッパーとして、身に詰まされる思いも感じながら読み進めましたが(笑)、全体として、非常に楽しいストーリーでした。
ところでファンタジーの中でも、ドラゴンという題材を選んだのはなぜだったのでしょうか?
Kakkonen:二つ理由があります。一つ目は、私自身がドラゴンを好きだからです。二つ目は、ドラゴンが好きな子どもはたくさんいるということです。ドラゴンでごっこ遊びをしたり、ドラゴンを題材にした映画を見たり、ドラゴンや騎士が出てくる絵本を読むのが好きな子もいます。どんな話題だったら子どもたちに興味を持ってもらえるかを考えたときに、この題材ならきっと関心を持ってもらえると思ったのです。
──『Dragons Out!』は、教育現場でどのように活用されているのでしょうか? また、実際に触れた子どもたちはどんな反応をするのでしょうか?
Kakkonen:私が教室を訪れて講師をするときには、スマホアプリのゲームを選んで、批判的な視点でテストしてもらっています。ストーリーの説明や絵を描くといったエクササイズも含めて、大体2時間の講義をするのですが、『Dragons Out!』を読んだ子どもたちの反応は、大きく三つに分かれます。
3分の1は大人になったらテスターになりたいという子どもたち。3分の1はプログラマーになりたいがテストの重要性も理解したという子どもたち。残りの3分の1は、プログラミングやテストに対して、特に興味を示さない子どもたちです。子どもですので、この割合は当然の結果だと考えています。
『ユウと魔法のプログラミングノート』でちりばめた創意工夫とは
──鳥井さんはなぜ子ども向けの技術教育書を書こうと思われたのでしょうか。

鳥井:私が『ユウと魔法のプログラミングノート』の執筆を考え始めたのは、Girls Who Codeの翻訳が終わった後からです。当時、日本では小中高におけるプログラミング教育必修化を迎え、多くの教材が出版されていました。しかし、それらの多くは特定のプログラミング言語やツールの使い方に焦点が当られており、「プログラミングの考え方」を言葉で表すことをメインに据えた本は少ないと感じました。
そこで、主人公を10歳の女の子に設定し、読者が共感しやすい存在にすると共に、日常生活の課題解決にプログラミングを活用するストーリー展開で、興味を持ってもらうように工夫しました。
企画から出版までには合計2年近くかかったのですが、その間、実際に子どもたちに原稿を読んでもらい、フィードバックを得ながら内容を改善していきました。
そうして完成した『ユウと魔法のプログラミングノート』は、近未来を舞台にしています。10歳の誕生日に「ミニオ」という個人用コンピューターをもらった主人公のユウが、不思議な「魔法のノート」の導きによってプログラミングを学んでいきます。ストーリーが進んでいくにつれ、基本的な変数や配列、条件分岐、ループといった概念を、段階的に学んでいけるよう構成しました。
Kakkonen:本のストーリーはどうやって構想したのでしょうか。また、プログラミングの基本である概念が出てきますが、主な想定読者層の小学校4年生〜中学生に、どうやって説明をするのか、工夫した点に関心があります。
鳥井:私はプログラミングを、コンピューターに対して自分のやりたいことを翻訳する行為だと考えています。そのために必要な、基本的な概念を中心に、コンピューターへの翻訳の仕方を語る気持ちでこの本を執筆しました。
読者が考えやすくなるように、現実の子どもたちが実際に体験し得る身近な問題に主人公のユウも直面し、解決するストーリーに仕立てました。
例えば、配列は「クラブのメンバーが背番号順に並んでいる」という形で表現し、条件分岐は「クラブ活動を開催するために必要な人数がそろっているかどうか」といった具体例で示しています。

──教育現場でどのように活用されているのでしょうか? また、実際に触れた子どもたちはどんな反応をするのでしょうか?
鳥井:実際の教育現場では『ユウと魔法のプログラミングノート』ではなく、『ルビィのぼうけん こんにちは!プログラミング』で何度か、ワークショップを開催しています。
ハロー!Rubyシリーズの教材化も手がけたのですが、その時に最も気を使ったのは、低学年向けなので、身体的な動作を伴うことですね。例えば、ワークショップ冒頭にダンスのワークを入れるなど、自分とプログラミングの接続を持たせることを意識しています。
一方、『ユウと魔法のプログラミングノート』の読者の方からは、主人公のユウへ共感するコメントをよく頂きます。本を読んで、「プログラミングをやりたい!」という気持ちになる子もいるのですが、主人公のユウに自分を重ねる子どもたちもいたのです。ユウは不器用で、字を書くことが苦手で忘れっぽい、うっかり者のキャラクターなのですが、そんなユウが課題を解決する姿に勇気付けられたという感想はとてもうれしかったです。
ファンタジーだからこそできる工夫で、若い読者をプログラミングの世界へ誘う
Kakkonen:確かに、若い読者が共感できるのは大事ですよね。自分の世界と本の中の世界の共通点を見い出せるというのも、非常に本の中に引き付けられるという意味でも重要だと思います。
鳥井:私は大人ですが、『Dragons Out!』の主人公、Lauraが成長していくストーリーにとても共感できました。
Kakkonen:子どもであろうと大人であろうと、成長ストーリーというのは、みんな共感できると思います。何かを学んで、そしてより良い自分になっていくー、そういったストーリーは年代や国に関係なく、心打たれるものでしょう。
──読者が自分の世界と本の世界で共通点を見い出せることが工夫の一つである、とお話がありました。それぞれの本で、他にどのような工夫をされましたか?
鳥井:イラストも重要な要素です。そのため、友人であり、プロの漫画家である鶴谷香織さんに依頼し、概念を視覚的に分かりやすく表現することにこだわりました。配列のイラストも、彼女から提案を頂いて、視覚的に分かりやすい本ができたと思います。

Kakkonen:私もドラゴンのデザインは、イラストレーターと試行錯誤を重ねました。例えば、パフォーマンスのスピードに関わるバグには、スピード感が出るドラゴンのキャラクターが必要でした。

また『Dragons Out!』には多くのキャラクターが出てきますが、それぞれのキャラクターの個性が伝わるような名前を付けるようにしました。多言語に翻訳する前提で、翻訳しやすい形容詞、名詞のバランスをベースに、響きのいい名前を付けています。ですから実は、翻訳するバージョンで、例えばフィンランド語版と英語版で、騎士の名前が違うんですよ。
鳥井:私も日本語については、プログラマーではなく、一般社団法人スローコミュニケーションに監修をお願いしました。彼らは非ネイティブの日本語話者や、知的障がいのある人たちにも伝わりやすい「やさしい日本語」で、日本語で必要な情報を分かりやすく届ける活動をしています。彼らの監修で、子どもにとっても分かりやすい文章になることを目指しました。
ところで騎士と言えば、『Dragon's Out!』の主人公の一人、Swanlakeは力強い女性の騎士ですよね。ジェンダーバランスを考えてキャラクター設計されたのでしょうか?
Kakkonen:女性や女の子のキャラクターが出てきますけれども、ジェンダーバランスについてはかなり考えました。本がある程度出来上がってから、パイロットリーダーの方に読んでいただいて得たフィードバックの中に、女性のキャラクターが少ないというコメントがありました。そのコメントを受けて、2人のキャラクターの性別を男性から女性に変更しました。
でも、小さな女の子をメインのキャラクターに据えることは決めていました。というのも、IT社会において、小さな女の子(女性)も参画することが自然になることを願っているからです。
鳥井:IT業界における女性の参画は重要なテーマですよね。多様性については私も関心のあるテーマですので、詳しくお話を伺いたいです。
(後編へ続く)
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