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「電費」時代の自動車産業~クルマは仮想空間で稼ぐ

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長い間、自動車と電機は日本経済を支える二本足と言われてきました。一部を除き凋落傾向にある電機業界と比べ、自動車産業は今も隆々とした勢いを保っていますが、昨今ではここにも大きな荒波が押し寄せてきています。これからの時代、クルマは単に走るだけではなく、走りながら稼ぐものになっていきます。これが今後の自動車産業をどう変えていくのか、世界と日本の動向を踏まえながら考察してみたいと思います。 本講演では、

 ・変わる「ものさし」
 ・覇権をめぐるゲームチェンジ

という二つのポイントからお話させていただきます。

※この記事は、『ベリサーブ オートモーティブ カンファレンス 2021』の講演内容を基にした内容です。

中山 淳史

株式会社日本経済新聞社
コメンテーター
中山  淳史 氏 

燃費から電費へ-変わる「ものさし」

47万円の「ウーリン」

昨年夏、中国の中堅自動車メーカー、上汽通用五菱汽車が「ウーリン」ブランドより「宏光MINI EV」という小型電気自動車(EV)を発売しました(図1)。発売直後の瞬間風速ではあるものの、米テスラ社のModel Sを抜き中国で最も売れたEVとなりました。47万円という低価格ながらよくできていて、1回の充電で120km程度は走るそうです。日本の軽自動車よりもやや小ぶりのサイズですが、若いカップルの街乗りやMaaSなどのシェアリングサービスには十分で、合理的な中国の消費者からは高く評価されています。

上汽通用五菱汽車の小型

図1:上汽通用五菱汽車の小型
引用:上汽通用五菱汽車Webサイト https://www.sgmw.com.cn/e50.html

脱炭素の取り組み

このクルマが登場した背景には、欧米を中心に進む「脱炭素」への動きがあります。これに関しては、以下のようなキーワードがさまざまなメディアで頻出しています。

・カーボンニュートラル
・カーボンフリー
・カーボンプライシング
・グリーンエコノミー
・ライフサイクルアセスメント

カーボンニュートラルとカーボンフリーは、文字通り脱炭素のことです。カーボンプライシングは価格、つまり二酸化炭素の排出枠取引や炭素税、炭素国境調整措置などをひとくくりにした言葉です。グリーンエコノミーは地球温暖化を防止する経済活動、そしてライフサイクルアセスメントは、部品作りから廃車に至るクルマの一生を通じて脱炭素を目指す取り組みです。こうした状況の中で生まれたのが「宏光MINI EV」というわけです。

電費 =「走行距離 +α」

本講演のタイトルにある「電費」、これは従来の自動車産業における「燃費」と対比する言葉です。ご存じの通り、燃費はガソリン1L当たりの走行可能距離を指します。1886年にドイツ・ダイムラー社のカール・ベンツ博士がガソリンで動く自動車を開発、世界で初めて商品化しました。そこから実に135年間、メーカーの競争力を図る指針として、燃費の時代が続いてきたわけです。

では、「電費」とは何か。当然ですが、EVにおいても1回の充電で何km走れるかは重要な要素です。先ほどのウーリンは120kmですが、東京の郊外から都心までの往復ぐらいはできそうです。しかし、電費が内包する意味はそれだけではありません。そこには、「走行距離+α」の新しい価値が存在するのです。

この「+α」によって、クルマを評価する「ものさし」が変わります。燃費の時代、ものさしが「1台当たりの利益」だったとすれば、電費の時代には「走行当たりの利益」というものが問われるようになります。通信やITなどの課金型ビジネスを展開する企業の業績では、ARPU(ユーザー平均単価)という指標がよく使われますが、これは一ユーザーにつき、どれくらいの売り上げがあったかを意味します。これを自動車に置き換えて考えると、ソフトウェアのアップデートによる機能追加などによりクルマを販売した後にどれだけ稼ぐことができるか、そこが重要になってきます。

走行データの売買

実は「+α」にはもう一つ別の考え方あります。EVが走る、それ自体が利益を生む可能性があるということです。EVでは、それまでハードウェアが行っていた制御の多くをソフトウェアが行うようになるため、動力源である電気がいつどこで作られたか、どこで充電したか、どこからどこまでどのように走ったか、その全てをデジタルデータとして容易に追跡、蓄積することが可能です。メーカーはユーザーに同意を得た上で、このデジタルデータを資産として活用できるかもしれません。例えば、ある区間を走行した時の道路や人通りの状況、立ち寄り先など、メーカー自身だけではなく他の企業も欲しがる情報は無数にあります。こうしたデータは排出権取引などと同様に売買され、莫大な利益につながる可能性があります。

電費を抑える運転

また、先に示した排出枠と同じ考え方で、電費を抑える運転という行為が経済価値を持つということです。つまり、CO2を排出しないクルマをさらに効率よく走らせると、その報酬として仮想通貨が支払われる。EVを通じて、こうしたやり取りが仮想空間上で始まる可能性があるのです。

デジタルツイン(電子の双子) ~リアルとサイバーのマーケットプレイス

これを可能にするのが、デジタルツイン技術(電子の双子)です。
図2は伊藤忠総研の深尾三四郎氏によって作成されたもので、左に人・モノの輸送、右側にエネルギーマネジメント、中心にはこれらを巡る脱炭素などの取り組みがあります。面白いのは、この二つの円の上下には現実世界とサイバー空間(仮想空間)があり、同じ事象がサイバー空間上にも存在することです。先述の電費を抑える運転で生じる取引はサイバー空間側で行われることになります。

これをさらに詳しく説明したのが図3です。左が現実世界、右側がサイバー空間ですが、一番下にはどちらの世界も同じクルマが存在します。道路や周囲の街並み、店舗などもサイバー空間に作れば、現実世界と同期させてクルマを走らせることができます。電費を抑える運転のより良い方法をサイバー空間でシミュレート、現実世界にフィードバックし、そこで得た報酬を再びサイバー空間に蓄積する。こうしたやり取りがリアルタイムで行われる、それが電費の時代なのです。

EV・車載電池の提供価値

図2:EV・車載電池の提供価値
出所:深尾 三四郎氏より

車のデジタルツインと信頼のプロトコル

図3:車のデジタルツインと信頼のプロトコル
出典:深尾 三四郎・クリス・バリンジャー(2020).モビリティ・エコノミクス ブロックチェーンが拓く新たな経済圏 日本経済新聞出版

電費の時代はいつやってくるのか?

EVはいつ爆発的に普及すると考えられるのでしょうか?その普及にはエネルギー効率の高い電池技術が不可欠です。しかし、電池はそう簡単に性能を上げることはできません。現在、主流となっているリチウムイオン電池は、半導体のように1年半に1回の割合で性能が倍増するようなことはまずありません。

ガソリンエンジン車を超えるエネルギー効率を得るためには、ブレークスルー(障壁を突破する革新的な電池技術の開発)が必要とされています。現在、メディアで取り上げられているのは「全固体電池」という技術で、これが確立されると走行可能な距離は何倍にもなると言われています。こうなると、EVは黙っていても(または「必然的に」)普及するでしょう。それがいつになるのか?というのが自動車業界最大の関心事となっています。

自動車や電池業界の予測では、期待も込めて2025年には全固体電池の量産化技術が確立されているとも言われています。しかし、日本の関連企業の投資状況をヒアリングしてみると「リチウムイオン電池」への投資割合が多く、すぐには量産化が実現する時は来ないだろう、というのが私の見解です。ただ、それが少し先、例えば2035年頃になるとしても、のんびりとはしていられません。わずか15年足らずで電費の時代がやってくると考えた方がいいでしょう。

覇権を巡るゲームチェンジ

遅れが目立つ日本

ここまでお話しした通り、これからの自動車産業は全く違うものにアップデートされていく可能性があります。これをにらみ、次代の主役の座を狙う国や企業がすでに活発な動きを見せています。脱酸素化に向けた各国および主な企業の動向は図4の通りで、いろいろな思惑が読み取れます。

脱酸素化に向けた各国および主な企業の動向

図4:脱酸素化に向けた各国および主な企業の動向

法制化は少し先になりますが、欧米は2030~35年にはガソリン車を全廃する方針です。中国はマーケットが巨大なこともあってそのスピードが少し緩めで、2035年に全てを省エネ車、新エネルギー車にするとしています。そして日本は2030年代半ばにHVを含めて半数を電動車にするということで、中国の目標のさらに半分となっています。ガソリン車という大きな資産を抱えている事情はあるにせよ、対応が遅すぎるという感はやはり否めません。

企業レベルでは、米ゼネラルモーターズ社が2035年にガソリン車を全廃すると発表しています。この会社はHVが弱いので、EVに完全移行すると見てよいでしょう。自動車販売台数が世界第1位のトヨタは2025年に半数を電動化するとしていますが、同社はHVも電動車と見なしていて、これを含めての半数です。EV「リーフ」を擁する日産も現在注力しているのはe-POWERというHVの一種となる方式で、発電専用のガソリンエンジンと蓄電池、モーターを組み合わせたものです。両社ともEV化という点では遅れ気味と言えるでしょう。

デファクトか、デジュールか

タイムスケジュールではほぼ足並みを揃えている欧米ですが、そこに向かう戦略は分かれる可能性があります。米国が得意なのは「デファクト」、つまり企業間の自由競争によって事実上の標準を生み出すというものです。スマートフォンにおける米アップル社のiPhoneが代表的な例です。

一方、EUが好むのは「デジュール」で、国家が法制度によって標準を決める戦略です。EV関連では「バッテリー指令」、「炭素国境調整」、「炭素税」、「排出枠取引」、こうしたものを法制化し、遵守しない相手とは取引禁止、あるいは高い関税をかける。これを域外に広げつつ、自国企業には補助金で支援し、あわよくばEUの製品を世界に拡散しようとします。WTO(世界貿易機関)協定との整合性や補助金の高騰といった問題をはらむものの、ヨーロッパの戦略はこれが昔からの基本です。

中国の方針はまだ定まってはいないようですが、どうやらEUと協調していく方向のようです。こうした各国の動向に日本がどう対処していくのかが、今後の大きな課題になっていくと思われます。

テスラの10年計画

次は、企業の例としてEVのリーダーと言えるテスラの状況を見てみましょう、同社には「マスタープラン」と呼ばれる10年スパンの経営計画があり、図5はその要旨です。

脱酸素化に向けた各国および主な企業の動向

図5:テスラのマスタープラン
(出所)テスラ、アーサー・D・リトル・ジャパン

2006年に発表した第1期、上から3番目までについては、2008年のロードスターを皮切りに、Model S、Model 3と、ほぼ計画通りに進んでいます。4番目がテスラの特徴を表すもので、これは建物の屋根に設置する太陽光パネルを指しています。つまり事業の根幹は持続可能エネルギーのマネジメントで、EVもその一つというわけです。

2016年からの第2期の1番目は先ほどの延長線上で、太陽光パネルの充実です。2番目が車種拡充で、小型車やSUV、トラックなどにもEVを広げていく。そして3番目が先ほど説明した走行データに関わるもので、世界中で走るテスラ車から得たデータを元に、人間が運転するよりも10倍安全な自動運転技術を開発すると言っています。

4番目が非常に興味深いのですが、テスラ車のオーナーがマイカーをシェアリングサービスに登録しておくと、空き時間にクルマが自動でお客さんのところへ出掛けていき、目的地に送り届け、また家に帰ってくる。要するに、自動運転技術を使ってクルマが勝手に稼いでくれるというわけです。

無人運転が法律で認可されることが前提ですが、第1期の計画が全て達成されたことを考えれば、技術的には2026年までに実現する可能性が高いとみています。おそらく市場もそう判断していて、それが高い株価に反映されていると言えるでしょう。

アップルの動向

もう一つの注目の企業はアップルで、おそらく自らクルマを作るのではなく、欧州などの企業にOEMで生産を依頼し、そこに搭載するITやサービスで稼ぐビジネスモデルを考えていると思います。彼らはウォレットやデジタルツイン、ブロックチェーンなど、いろいろな技術を持っています。クルマを売った後に稼ぐ、そこだけに賭けようという企業がアップルなのです。

図6は、株式時価総額の比較です。トヨタの時価総額は日本の他の自動車メーカー全部を足しても及ばないほどなのですが、テスラの株価は実にその3倍です。これが何を意味するかというと、仮にテスラが生産能力を増強したいと考えたなら、株式交換を使えば日本の中堅メーカーを買収することが理論上は可能なのです。

いわんやアップルです。時価総額はトヨタの10倍で、この会社がどのようにEVに参入してくるか。固定資産を持たないという方針ゆえに自動車メーカーの買収はないでしょうが、時価総額の実力を見ればさまざまな方策が考えられるでしょう。

株式時価総額の比較

図6:株式時価総額の比較

迎え撃つトヨタ

2020年1月に米ラスベガスで開催された世界最大の家電・IT見本市「CES 2020」において、トヨタは実証都市「ウーブン・シティ」のプロジェクト概要を発表しました。この計画に当たりトヨタは5000億円という大規模な社債を発行しましたが、1カ月足らずで完売したようです。また、事業母体としてウーブン・プラネット・ホールディングスという持株会社を作り、こちらには豊田章男社長も個人で出資をしています。

豊田社長の弁では、ここからトヨタは新旧に分かれていく。現在のトヨタを旧として、新トヨタはクルマのOSをはじめとしたソフトウェアの開発やサービスを事業として展開し、いずれは新トヨタが旧トヨタの時価総額を抜いて欲しいと言っています。ウーブン・シティはトヨタの新たな技術やデータ活用のショーケースであり、テスラやアップルの猛攻を黙って見てはいないということでしょう。

おわりに

図7は、企業の衰退プロセスのイメージで、米国の経営学者であるジェームズ・コリンズ氏が著書で提示したものです。実はトヨタの豊田社長は2009年に日本記者クラブの場でこれを示し、今のトヨタは第二段階にいる、と発言しています。その時期はリーマンショックの直後で、トヨタは世界中で工場の建設ラッシュを進めていたために一気に赤字に転落していました。「規律なき拡大路線」に走ってしまったわけです。

では今はどうなのか。想像するに、第三段階に陥りかけていたのではないでしょうか。先に述べた通り、他国と比べて日本は国もメーカーも脱炭素には消極的で遅れが目立ちます。EVの時代など簡単には来ない、売った後に稼ぐなどありえない、そんなふうに考えていた節があります。まさに「リスクと問題の否認」です。豊田社長は明確には述べていませんが、ウーブン・シティや新旧トヨタの構想は、そこに気付き方針の転換を図ろうとする意志の表れであると感じます。

米国の経営学者、ジェームズ・コリンズ氏が提唱する「衰退の五段階」のイメージ

図7:米国の経営学者、ジェームズ・コリンズ氏が提唱する
「衰退の五段階」のイメージ

今のところ、日本の自動車産業は世界一の座に君臨していますが、このままあぐらをかいていてはテスラやアップルのような企業に簡単に足をすくわれてしまう危険があります。そうならないためにも、燃費から電費へと戦略のマインドをすぐにでもシフトし、新しい経営に踏み出すことを期待しています。