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【連載】QAの変遷を語る:クオリティアーツ代表・池田暁氏「これからのQAエンジニアはより高いエンジニアリング的知見や言語力が不可欠」

クオリティアーツ代表池田暁さん

1976年長崎市生まれ。2002年日立通信システム株式会社(現・株式会社日立情報通信エンジニアリング)に入社。組込みシステムの設計、品質保証業務を経て、技術支援部門にてテスト技術を中心にアジャイル開発やMBD/SPL等の導入を支援。その後も、株式会社日立ハイテク、日立Astemo株式会社、株式会社ビズリーチ、株式会社マネーフォワードにてソフトウェア品質に関する活動などに携わった。21年からクオリティアーツ(個人事業主)としてソフトウェア工学導入伴走に取り組むほか、22年より長崎の老舗IT企業・株式会社NDKCOM社技術顧問に就任、現在は執行役員CTOとして支援する。その他、長崎県産業振興財団CO-DEJIMAスタートアップメンター等、行政含めた支援にも取り組む。著書に『[改訂新版]マインドマップから始めるソフトウェアテスト』や、訳書に『実践ソフトウェア・エンジニアリング』(第9版)等がある。

開発エンジニアとしてのプロ意識の高まりからテストに興味

——キャリアにおける、テストやQAとの関わりについて教えていただけますか。

2002年、日立通信システム株式会社(現・株式会社日立情報通信エンジニアリング)という、電話交換機を作るビジネスがメインだった会社に新卒で入りました。組み込みエンジニアとして入社し、2年ほどして品質保証部に異動しました。当時、主要顧客のビジネス変化の影響により、ハードウェア開発主体からソフトウェア開発主体へと急速に事業転換していく中で、ソフトウェアの品質保証をもっと強くしていかねばという話があり、私自身そこで初めて品質保証という世界に足を踏み入れました。

私が主に担当していた品質保証する対象のプロダクトやドメインは、組込み系製品や企業向けネットワーク関連製品、自社プロダクトだったNetCSシリーズです。NetCSは、今でいうZoomのようなコミュニケーションシステムで、当時はアナログやISDN、3Gという細い回線ですが、40拠点接続できるなど最先端のプロダクトでした。組込みソフトのように規模もチームもとても小さいものから、携帯電話の基地局システムのような超巨大なものまでが品質保証対象でした。

従って、品質保証部による検査(品質保証テスト)だけでは不十分で、つくりの品質を高めるためには、開発プロセス含めた質の向上、つまり、開発技術や管理技術も強化しなければなりません。さらには世の中の新しい動向や技術もインプットしていかねばならない。そこで、社内に対する技術支援部門を立ち上げて、品質技術やテスト技術を中心としたソフトウェア・エンジニアリングの社内コンサルタントとして動いていました。

先にその後のキャリアを時系列的にお伝えすると、15年に医用ドメインの株式会社日立ハイテクに転籍し、18年にはオートモーティブドメインの日立Astemo株式会社へ移りました。その後、クオリティアーツを立ち上げて個人事業主として活動しながら、21年から株式会社ビズリーチ、23年からは株式会社マネーフォワードで品質保証やテスト技術に関する活動をしてきました。現在は長崎にある株式会社NDKCOMの技術顧問を経て、執行役員CTOとして支援もしています。

——QAやテストに関心を持った理由をお聞かせください。

キャリアの最初は、開発エンジニアだったため、当初からQA(Quality Assurance)やテストの領域に興味があったというよりは、モノづくりに興味がありました。ただ、プロとして仕事をやっていく中で、お客様に喜んでいただいたりご迷惑をかけないようにしたりするために、個人の仕事もそうですが、携わる製品・サービスの品質を上げていくことの重要性を強く感じるようになりました。

その意識でお客様に一番近い開発のフェーズは何かと考えたとき、それはテストや品質保証だと気付いたんです。お客様に、より近いフェーズにて貢献できる面白さを感じ、興味を持ち始めました。元々、私が在籍していた日立グループは品質について強い誇りとこだわりがあります。その文化や歴史から大いに影響された面もあります。

——2004年に品質保証部へ異動されていますが、これは立候補したのでしょうか?

なにせまだ新人に毛が生えた程度ですから立候補というよりも、「お前行ってこい」という感じで巻き込まれたかたちですね(笑)。ただ、実際に異動してみると、非常にやりがいがありましたし、水が合いました。品質保証部での業務は開発業務とは根本的に違うことも多く、当初は技術面でもメンタルセット面でも、右も左も分からない状態でした。なんとか仕事に慣れたいと思い、おそらく人生で一番猛烈に勉強したのですが、その勉強がとても楽しかった。品質保証やテストといったキーワードが付いている書籍をAmazonで100冊程度購入し、それを半年くらいで読み切ったのですが、どれも読んでいて楽しく知的欲求を満たしてくれるものでした。

得た知識を実際に品質保証業務で実践し、また書籍や論文にて次に役立つ知識を得るというループを回していくのも楽しかった。それがお客様の満足に貢献していくことへの実感もありました。それがやみつきになりました。気が付けば今でもずっとQA・テストの仕事をしています。立候補ではなかったとはいえ、それほどこの異動は私の人生に大きな影響を与えてくれました。

「テストエンジニア」の誕生

——2000年代前半ごろは、他の企業でもソフトウェアの品質保証に取り組む会社は多かったのでしょうか?

ソフトウェア開発を生業とする会社であれば多かれ少なかれ何かしらの形で取り組んでいましたが、さまざまな変化への対応に迫れられていた時代だと思います。

メーカー系などの大手企業がソフトウェア開発を引っ張っていく時代が長かったわけですが、1990年代前半辺りに「オープン化」という大きな波が来て、今までスパコンやメインフレームベースの開発だったものが、小さなPCベースに変化していきました。それに伴いPCベースの規模が小さいソフトウェアの開発が増えていきましたし、ソフトハウスも爆発的に増えました。そうすると、従来型のヘビーウェイトな品質保証に加え、スモールかつコンパクトな品質保証も必要となっていきました。

技術的にも、C言語などでの構造化手法によるソフトウェア開発から、Javaなどでのオブジェクト指向手法へ移行していきました。小さいながらもアジャイル開発の波も起きました。また、ISO9000シリーズやCMMへの対応、オープン・ソース・ソフトウェア(OSS)の登場もありますね。ソフトウェア開発そのものはもちろんそれを取り巻くものが変化する中で、テストや品質保証もどう変化するかという技術的な転換を迫られていました。

社会的にもWindows95やWindows98の登場による情報処理機器ユーザーの爆発的な増加やPHSから始まる携帯電話の普及、パソコン通信からインターネットへの変化、「2000年問題」といったような変化に影響する出来事は数多く挙げきれません。

この時代、ベンダーによるさまざまなテストツールが登場したり、第三者検証に専門特化した企業が現れ始めたりということも起きています。こうした変化が起きる中で、テストや品質保証分野での技術コミュニティーの重要性も増していき、実際に品質保証やテストに関する技術者コミュニティーが出来始めました。

——その頃から情報交換の場としてQA・テストコミュニティー活動は活発だったのですか?

いや、活発な場はありましたが、あまり知られていなかったと思います。実は最初、私は品質保証やテストのコミュニティーではなくアジャイルのコミュニティーに参加していました。北海道の大学院時代、OSS界隈に詳しい同級生がいて、コミュニティーの存在を教えてくれました。関東に就職してから、XP(エクストリームプログラミング)を扱うXPjugの勉強会に参加したのが始まりです。

その懇親会で当時JaSST東京実行委員だった富士通の和田憲明さんに出会い、その後、品質保証部に移ってからTEF(テスト技術者交流会)という、当時はメーリングリストベースのコミュニティーに参加しました。TEFで知ったJaSSTに参加したら、和田さんがいらして。その場で実行委員にお誘いいただき、それをきっかけにテスト業界の人たちをいろいろと紹介いただき、交流が広がったという感じです。

このTEFが国内においてソフトウェアテストや品質の議論を活発に行っていたコミュニティーです。現在国内において品質保証やテストをリーディングしているベテランの多くはこのTEFに参加していた人も多いのではないでしょうか。国内唯一の専門コミュニティーだったため議論は活発で、このTEFからJaSSTもそうですし、さまざまな訳書が出版されました。国内の品質やテストの歴史を語る上でこのTEFは外せないです。

——当時、QA・テスト業界のホットトピックスは何でしたか?

その頃はソフトウェアテストの技術や体系そのものがまだ広く知られているものではなかったので、その基本的な技法といったものがトピック化されていましたし、アジャイルに対する品質保証や、Vモデルをベースにした次の開発モデルなどが話題でした。オープン化以降にツールベンダーが増えたことや携帯電話開発に代表される組込みソフト需要の高まりによる開発負荷が爆発的に高まったことで、少しでもテスト工数を削減するために自動化をどう進めていけばいいのかといった議論も増えました。テストプロセス、現在でも主要テーマであり続けているテスト分析設計やテスト観点という考え方が出てきたのも大きなトピックでしょう。

こういったテーマがカンファレンスやコミュニティーで議論されるようになりましたが、一番の大きな変化として起こったのは、品質やテストについての関心が、メーカーをはじめとする大企業の品質保証部もしくはそこに所属する人たちだけのものではなくなったことでしょうか。ソフトハウスやソフト開発者が増えていったのは先ほど述べた通りですが、テストをしっかりとやらねばという意識を持つ人の総量が増えていきましたし、意識の高まりも見られました。

ちょうどこの頃、電気通信大学の西康晴先生が「テストエンジニア」という言葉を日本で定着させたことで、世の中にはテストという技術があり、きちんと学んでやっていくものだという認識が広がりました。採用サイトでも「テストエンジニア募集」という求人が増え、専門職化が進みました。この業界の変遷を語る上でエポックメイキングなことだったと思います。そのテストエンジニアの人々が主役となっていきました。その人々によって、JaSSTの全国展開が進んだり、WACATEが開始されたりしています。

スマートフォンの登場で技術のトランスフォームが不可欠に

——実際、テストエンジニアの需要は高まったのでしょうか?

携帯電話に代表される組込みシステム開発の猛烈な拡大や全盛の時代であり、これまでとは異なる次元のスピードや膨大な量の開発が求められる中で、テストの重要性も高まりました。それに伴い、テストエンジニアの需要が増加していったのは自然の流れと言えます。実際に求人件数は右肩上がりだったと思いますし、ソフトハウスが増えれば当たり前にテストエンジニアも増えていく。企業によっては「テストチーム」というテスト専任部隊を設けるところも出てきた。第三者検証ビジネスが伸長する中で、テストエンジニアという、きちんと技術を持った人たちの数も増えました。JSTQBの受験者の推移がそれを物語っているでしょう。

その後、組込みシステム開発のビジネスは徐々に小さくなっていったのですが、携帯電話の文脈でいうと、スマートフォン(以下、スマホ)の登場が開発やテスト、品質保証についての技術変化を促したのは間違いありません。iPhoneは衝撃以外の何物でもなかったと思いますよ。ボタンがないから。従来はボタンありきの開発だったわけです。また、機能による競争からユーザー体験による競争に変わっていきました。

さらに、スマホの利用がけん引する形でクラウドサービスが存在感を見せ始めます。クラウド製品に対してのテストや品質保証という業務も生まれました。SaaSの世界でのリリースは一日に何回も行われます。そういった世界にテストを対応させていかないといけない。そうすると、これまでのテストプロセスの最適化や高度化だけでなく、開発プロセスの最適や高度化にもテストエンジニアは入っていかなければならない。つまり、ISTQBシラバスでいう、プロダクト品質に貢献するテストエンジニアに加えて、プロセス品質に貢献するQAエンジニアの重要性が増していきました。この2つのロールがお互いに専門性を持って協力しながら全体の品質を高めていくということに変わっていっています。

QAエンジニアに必要な見識とは?

——QAエンジニアに求められる資質について、どのようにお考えですか?

何よりもまず、テストエンジニアやQAエンジニアの増加に貢献しているのは、間違いなく第三者検証サービス会社だと思っています。ただし、スキルのばらつきがあるのも事実です。具体的に言えば、ソフトウェアエンジニアリングやコンピュータサイエンスなどを専門的に学んだ経験がない人たちの比率が高まっています。基礎や基本、足腰といったところをもっと鍛えたほうが良いと思います。

QAエンジニアはエンジニアを名乗る以上、まずはエンジニアとしての基本であるエンジニアリングを学び、それをベースとしてQA技術を得ていくのが良いと思います。また、エンジニアリングの素養がないと、開発エンジニア等の他のエンジニアロールとのコミュニケーションがうまく取れませんから。

とりわけ今は多拠点開発が一般的で、海外とつながりながら開発・テストをやっていく時代となっています。例えば、ドイツではマイスター制度があり、情報系の大学を出ていないとソフトウェアエンジニアにはなれないわけです。そうした素養のある人たちとチームを組み、コミュニケーションを取っていかなければなりません。QAエンジニアに限らず、日本のエンジニアは今から勉強しても間に合うので、改めてソフトウェアエンジニアとしての知識や見識を身に付けるとよいのではと思います。

それと、最近より感じるのは言語の大切さでしょうか。扱う物事が複雑になり、開発技術も複雑になっていっています。テスト技術もQAの仕組みも複雑化しています。そうした複雑な状況で他人ときちんとコミュニケーションを取らなければバラバラになってしまう。

われわれは日本人なので、まず日本語という言語をもっときちんと知るべきだと思います。東京大学名誉教授の飯塚悦功先生も「とにかく皆さん、まず日本語を学びなさい」とおっしゃっていました。自分の話す日本語が論理的でなければ、ソフトウェアの論理を作り出すのは難しいでしょう。私も含めて「国語」の授業は受けましたが「言語としての日本語」の授業は受けたことがない人がほとんどです。なので、言語としての日本語は下手。私も改めて学び直しをしているところです。

それから英語ですね。私も苦手ですが、昨年は一念発起してかなり勉強しました。海外の方とのコミュニケーションを取るために、海外の情報やノウハウを得るために、海外の文化をより知るために、そして海外に向けたプロダクトリリースのためには英語は欠かせません。日本語、それからグローバルで仕事をするのであれば英語。そうしたコミュニケーション言語はしっかりと学んだ方がいいのではと感じています。

これからのQAエンジニアには、ソフトウェアエンジニアリングの知見、そして言語力がより高いレベルで資質として求められるようになっていくと思いますし、実際に今その時期に立っていると思います。

クオリティアーツ代表池田暁さん

1976年長崎市生まれ。2002年日立通信システム株式会社(現・株式会社日立情報通信エンジニアリング)に入社。組込みシステムの設計、品質保証業務を経て、技術支援部門にてテスト技術を中心にアジャイル開発やMBD/SPL等の導入を支援。その後も、株式会社日立ハイテク、日立Astemo株式会社、株式会社ビズリーチ、株式会社マネーフォワードにてソフトウェア品質に関する活動などに携わった。21年からクオリティアーツ(個人事業主)としてソフトウェア工学導入伴走に取り組むほか、22年より長崎の老舗IT企業・株式会社NDKCOM社技術顧問に就任、現在は執行役員CTOとして支援する。その他、長崎県産業振興財団CO-DEJIMAスタートアップメンター等、行政含めた支援にも取り組む。著書に『[改訂新版]マインドマップから始めるソフトウェアテスト』や、訳書に『実践ソフトウェア・エンジニアリング』(第9版)等がある。

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