キャリア

【連載】冒険者の地図: 「QAの枠にとらわれない」と語るメルカリ・福田里奈さんのエンジニア魂とは(後編)

株式会社メルカリWork Engineering QA Engineering Manager福田里奈

(前編はこちら)

福田さんが約10年働いたFusicを辞め、転職を決めた理由は、リモートワークへの強い希望だった。

「家から1時間かけてオフィスへ行き、そこで東京のエンジニアとリモートで仕事をすることもありました。『だったら在宅でいいじゃん』と思って」

今でこそ、この意見に違和感のない読者が大半だろうが、コロナ禍前はこうした働き方が当たり前のように日本企業で見られていた。育児と両立しながら仕事をする福田さんにとっては業務効率化が不可欠だった。

そこで、リモートワークが可能だった京都の会社に転職する。だが、わずか5カ月で退職。ちょうどその頃、メルカリが福岡にオフィスを開設する話が舞い込んできた。実は福田さんは5年前からメルカリへの入社を切望していて、以前からカジュアル面談などで同社と接点を持っていたものの、「東京オフィスでの勤務」という条件が合わず諦めていた。しかし今回は福岡で働ける可能性ができたのだった。

とんとん拍子で話は進み、2018年10月1日、ついにメルカリにQAエンジニアとして入社する。

「ちょうどその日、インドの新卒社員が数十人も入るタイミングで、記者会見が行われました。それまで福岡でずっと働いていたのに、キラキラしたエレベーターにインド人の方々がたくさん乗っていて、『やばい、私どこに来たんだろう?』と衝撃的な体験をしました」

その日の出来事を個人ブログに書いたところ、メルカリの名前を一切出さなかったにもかかわらず、翌日には社内のSlackにブログのURLが貼られていた。「情報共有、早!」と驚き、またしてもカルチャーショックを受けた。

1年単位で部署や役割が変化

福田さんのメルカリでのキャリアは多様な経験の連続である。先に述べたように、福岡の開発拠点の立ち上げに際し、QAエンジニアとして加わった。基本的には福岡オフィスに他のエンジニアがいて、ワンチームで仕事をしていたため、これまでとのギャップはなく、大企業にいるという意識はほとんどなかった。

異なる点としては、他にもソフトウェアテストやQAの担当者がいて、かつ、自分以外のメンバーは東京オフィスにいたことだった。その後、社内でのQAの立ち位置も変化していった。

「最初は開発チームの中にQAがいたのですが、それでは業務が回らないということで、QAが横断的な役割となり、いわゆるスクラムチーム、つまり開発者自身がテストするような体制に変わっていきました」

2021年からはソウゾウという子会社(現在はメルカリに吸収合併)でEコマースプラットフォーム「メルカリ Shops」のサービス開発に携わり、QAエンジニアとスクラムマスターを兼任。さらに2023年からは「メルカリ ハロ」のローンチに向け、QAエンジニアとして携わるだけでなく、テストマネジメント業務も担当。24年春頃にはQAエンジニアリングマネジャーになり、現在はスクラムマスターも兼任している。

入社直後の大プロジェクト

メルカリでのこれまでの7年間は、組織変更や異動が相次いだこともあり、「常にハードルがある状態」だった。そうした中でも印象に残っているプロジェクトは幾つかある。

福田さんがまず挙げたのが、「出品画像10枚化プロジェクト」。入社後3カ月での初めての大きなプロジェクトで、メルカリの出品写真を4枚から10枚に増やすというものだった。

「4枚が10枚になるだけと思うかもしれませんが、内部ではめちゃくちゃ大変でした。バックエンドがマイクロサービス化する時期と重なったり、iOS、Android、Webそれぞれの形式に加えて、CS(カスタマーサポート)ツールにも対応させる必要があったりと、吐きそうなくらいきつかったです」

しかも福田さんを含めてメンバーは全員、入社して間もない人たちだったため、苦労は絶えなかった。

もう一つが、先述した「メルカリ ハロ」のサービス開発プロジェクトだ。「最初はPOC(概念実証)的にミニマムに出すと聞いていたのですが、ふたを開けるとそれほど簡単ではありませんでした」と福田さんは振り返る。

「メルカリ ハロ」はこれまでメルカリが主戦場としていたC2Cのマーケットではなく、パートナー(事業者)が求人を公開することが前提のB2B2Cという構造である。当然、労働基準法をはじめとした法令や規制なども絡んでくる。従って、さまざまな関係者が入り組んだサービスだった。

「決済回りはメルペイが担当、ユーザーアカウントはメルカリの管理、経理関係はホールディングスと、複数の組織が絡み合う複雑なプロジェクトでした。ですから『あれ、私は自由に手を動かせないぞ……?』と思いましたが、それでも主体的に動いてタスクのチケット作成から何でもやりました」

新サービスとなる「メルカリ ハロ」の品質面では、ITや通信などの分野で国際標準規格を策定するIEEE(Institute of Electrical and Electronics Engineers)のフォーマットを参考にしながらリリース基準を自ら決定。「リリース判定会議で何を提出するか、テストのフォーマットも決まっていない中で、自分で基準を作り、執行役員の承認も一発で通しました。初めてにしてはいい線いったかな」と福田さんは胸を張る。

サービス品質への執念

このようにメルカリでハードなプロジェクトを幾つもこなしていき、QAエンジニアとしての腕を磨いていった。そんな福田さんの品質保証に対するポリシーは明確だ。きちんとした製品・サービスをリリースできないことは絶対に悪で、そのためには何でもするべきだと考えている。

「品質保証の担当をしているから、リリースしたサービスがプロダクトとしてこけました、というのはあり得ない。絶対にバグは出したくないから、そのためなら何でもすると全社の人たちに今でもずっと言っています」

サービスで大きな失敗を引き起こさないために必要なことは、QAが単独で完結させるのではなく、「エンジニアとの対話」だという。

「もちろん、必要なテストはしっかりと実施します。しかし、それでもバグが発生する可能性はゼロにはなりません。そのため、そうしたバグが顕在化したとしても、どのように防止できるか、あるいは早期に気付けるかを検討することが重要です。これには、エンジニアと対話しながら、どのような技術や仕組みで対応できるかを議論することが不可欠です」

福田さんは続ける。

「PdM(プロダクトマネジャー)とも密なコミュニケーションが重要です。PdMはプロダクト全体に責任を持っており、例えばサービスが法的要件を満たしているのか、ビジネスへの影響が適切に考慮されているのかなど、全体を俯瞰しながら判断して進める役割を担っています。QAとしては、このコミュニケーションを通じ、プロダクトをより高い安全性と品質で実現するために連携していく必要があります」

その上で、福田さん個人としての仕事の信条は、「優先度を決めること」と「ブロッカーを外していくこと」だという。

「それぞれのチームが自分の業務に集中し過ぎて抜けているところがないかを常に気にかけています。集中し過ぎるあまりスケジュールが遅れることは許されませんから」

これはかつて勤めていたFusicでの経験が大いに生きているという。一人でテスト業務を担当していた時に、年間40本のサービスが走り、1カ月に3、4本のテストをこなす状況があった。限られた時間の中で最大限の成果を出すことが求められ、スケジュールの遅延はできない状況だった。そのため精度を保ちながら工夫を重ね、可能な限りミスを防ぐ努力を続けた。これを乗り越えたことで得た胆力が、現在の仕事スタイルの基盤になっている。

「締め切りが決まっているので、そこから逆算して、テストのタイミング、エンジニアの進捗予測を立て、うまくいかなそうな瞬間に計画を組み替えることが必要です」

エンジニアたちに対しては「開発できた部分だけでも先に渡して」とプッシュすることもある。「100パーセント仕上がっていなくても、できた部分だけテストすれば全体が早く進む。そこはめちゃくちゃ言いますね」と福田さんは強調する。

こうした仕事の方法論、処世術は彼女の長いキャリアで培われたたまものだろう。

未来のことは分からない

現在はQAエンジニアリングマネジャーとして活躍する福田さんだが、「QAにはあまりこだわりがない」と明言する。

「私のベースはエンジニアであるからこそ、エンジニアリングの世界にいたい。QAだけで一つの組織というのはあまりしたくない。結局それもエンジニアリングじゃないですか」

できることの引き出しがあって、その中で自分に向いているものは全部やるという姿勢で、既存の枠組みにとらわれない活動を続けている。

今のチームでの次なるチャレンジはAIの活用だ。「AIが入ってきた中で、私たちのサービスやエンジニアリングがどう変わっていくかを考えています。AIをどう使い倒せるかはこれからの課題ですね」と福田さん。

自身の将来の計画については独自の哲学を持つ。「私はあまり未来のことを見ていないんです。今来たものをやる。走りながら考える。こんなに定常的に物事が変わっていくから、考えてもしょうがない。来年の私がどうなっているか分からないですよ」と福田さんは豪快に言い放つ。

ただ一つ、揺るがない軸があるという。

「一番のベースは子どもの成長に合わせること。例えば、子どもが世界中どこの大学に行っても私も付いていけるような仕事をしたいと思っていました。そのためには英語とリモートワークが必要。それはある程度達成した気がしています」

福田さんは続ける。

「子どもが大学を卒業するまでは今の形で働き、その後は自由だと思っています。もしかしたら仕事をしていないかもしれませんね」

偶然と必然から生まれたもの

福田さんのキャリアは、偶然と必然が織りなす独特の軌跡を描いている。学費が安いという理由で選んだ情報科、強いられるように始めたテスト業務、声をかけられて参加したコミュニティー活動、長年憧れていたメルカリへの入社。一見すると偶然の連続のように見えるが、そこには彼女の柔軟な適応力と前向きな姿勢という確かな軸がある。

福岡の小さな会社での「一人テスター」から、世界を相手にする大企業での「品質リーダー」へ。その歩みは決して平たんではなかったが、常に今できることに全力で取り組む姿勢が、彼女を支え続けてきた。

QA・ソフトウェアテストという専門分野にとどまらず、エンジニアリング全体を見据える視野の広さ。短期的な品質だけでなく、長期的なプロダクト価値を考える思考力。そして何より、人とつながり、学び続ける好奇心。固定観念にとらわれず、常に風向きを読み、適応し、前進する。その姿勢が、彼女の豊かなキャリアを築いてきたのである。

IT業界に限らず、「自分の居場所」を模索しながら働く人々にとって、福田さんの歩みは大きな勇気と示唆を与えてくれるだろう。

株式会社メルカリWork Engineering QA Engineering Manager福田里奈

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