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【連載】MBAホルダーのエンジニアが影響を受けた5選書:『ザ・ゴール』

こんにちは。河原田政典(Mark Ward)です。
ぼくは2020年10月から2022年9月までの2年間、仕事をしながらMBAプログラムに通って経営学修士(専門職)いわゆるMBAを修了したエンジニアです。エンジニアとしての専門性であるソフトウェア品質保証とアジャイル開発を追求する一方で、特に品質という観点から、技術だけでなくビジネス全般の知見を深めてきました。
本連載では、これまで読んだ書籍の中から、技術・ビジネス・自己成長に役立つ5冊をご紹介します。それぞれの本から、ぼくの考え方や業務の進め方にどのような影響を受けたのかもお伝えしつつ、皆さんの日々の仕事や生活に取り入れられるヒントをお届けできればと思います。
第1回はピーター・ドラッカーの『経営者の条件』、第2回はデール・カーネギーの『人を動かす』、第3回は及川卓也さんの『ソフトウェアファースト 第2版』でした。ここまでで「自己を整える」「他者を整える」「組織を整える」ということを考えてきました。今回は「流れを整える」ということで、エリヤフ・ゴールドラット『ザ・ゴール』(2001・ダイヤモンド社)を扱います。物語形式で描かれた経営改善の思想書でありながら、今日のビジネス現場でも通用する洞察に満ちています。未読の方には『ザ・ゴール コミック版』(2014・ダイヤモンド社)をおすすめします。コミック版は読みやすくなっているうえに、オリジナル版と同等の深い学びや気づきを得られます。なお、本稿ではオリジナル版を参照しています。
流れを整える基本書
皆さんの会社には、このような悩みはないでしょうか。「現場は忙しいのに、なかなか成果が出ない」「ビジネスを前進させるために高い生産性が欠かせないのに、いくら投資してもスピードが出ない」「どんなに緻密に計画を立てても、顧客からの緊急要望による予定変更が発生する、それも頻繁に」などなど……。こういった問題が、原因が見えにくいまま繰り返し発生する企業も少なくありません。また、このような状況では現場は疲弊していきます。たとえば「各メンバーやリーダーたちのToDoリストにはやるべきことがいっぱいで減る様子がない」「SlackやMicrosoft Teamsなどの社内チャットツールにレビュー依頼が積み上がっていく」「テストを実行するステージング環境は取り合いになっている」「承認会議は週に一度しかなく、結果として「待ち」が増える」……もっとあると思いますが、このあたりにしておきます。
さて、こうした現象は努力不足ではなく、価値の流れ(着手から価値提供までのリードタイム)の設計がなされていないことから生まれます。何をどれだけ作ったかよりも、どこで「仕掛かり(WIP:Work in Progress)」の行列が生まれ、どの順で処置すべきかを見抜いて対処しなければ、組織は簡単に「自己満足の繁忙」へと落ちていってしまいます。最近は減っているそうですが「デスマーチ」という言葉に聞き覚えがある方も多いのではないでしょうか。
この停滞をさらに悪化させるのが、部分最適の罠です。各部門がそれぞれのKPIで「効率化」しても、システム全体のWIPが増えるだけで、リードタイムは短くなりません。ソフトウェア開発でも同じで、たとえばレビュー待ちが詰まっているのに実装要員だけを増やしても、レビュー待ちの行列がさらに伸びるだけです。『人月の神話』(1975)で知られるブルックスの法則は「遅れているプロジェクトに人を追加すると、さらに遅れる」と喝破しましたが、つまるところ「ボトルネック」以外に資源を投下すると「在庫(未完了作業)」が膨らむという現象を言い当てています。加えて、ブルックスは後年「銀の弾丸などない」(1986)でも、単独の妙手では本質的な複雑さを解消できないとも述べました。では、どのように考えて取り組むべきでしょうか。
『ザ・ゴール』が教えてくれるのは、こうした停滞を一つひとつ取り除くことではなく、システム全体の中で最も流れを制限している一点(制約)に焦点を当て、そこを中心に全体を整えるという考え方です。どこを優先して動かせば最も大きく改善するか、その「順番」を見抜くのがリーダーの役割であり、本書は「読み物」でありながらリーダーの実務の指針なのです。前回の『ソフトウェアファースト』で得た「手の内化」の発想を継続的改善に落とし込んでいく技術を『ザ・ゴール』から見出していただけたらと思います。
制約を見つける眼
『ザ・ゴール』では「TOC(制約理論:Theory of Constraints)」と呼ばれる理論を扱います。「制約」とは、今まさに流れを滞らせている詰まりのことです。制約は必ずしも工程や人手などの物理的なものに限らず、方針や市場の需要といった見えない形でも現れます。TOCは制約を中心に全体のバランスを見直す考え方ですが、業務における制約を正確に見つけ出すことは容易ではありません。
見えない制約を言葉にする
どんな企業にも制約があります。けれど、それがどこにあるのかを誰もはっきりと言葉にできないまま、毎日が慌ただしく過ぎてしまいます。制約は必ずしもKPIなどの数値で測れるものではなく、判断の迷いや優先順位の曖昧さといった目に見えない形で潜んでいます。『ザ・ゴール』は、この「見えない制約」を見つけ出すために、まずそれを言語化することの大切さを教えてくれます。
制約を言語化するとは「どこで滞っているか」を論理的に説明することではありません。現場で起きている「引っかかり」を、曖昧なままにせず共有することです。「なぜここで止まっているのか」「なぜ優先順位が変わらないのか」と口に出すこと自体が、組織の思考を動かします。多くのチームでは、見えていないのではなく、言ってはいけない空気の中で見えなくなっているのです。「部屋の中の象(elephant in the room)」という直喩や「裸の王様」の寓話を連想される方もいらっしゃるのではないでしょうか。
制約を言葉にする行為には、勇気が要ります。組織の心理的安全性が確保されていなければ、メンバーが制約について率直に発言することは難しいでしょう。自分の担当領域を超えて意見を述べたりして組織や人間関係に波風を立てたくはない、と口をつぐむことは、日本ではむしろ普通のことかもしれません。しかし、沈黙のままでは流れは整いませんし、組織が制約のせいで抱えている問題が消滅することもありません。誰かが「ここが止まっている」と言葉にすることで、初めて組織全体の視野が開けるのです。制約とは、実は関係の間に生まれる沈黙でもあります。それを見つけ、声をあげ、名づけることから、流れは動き始めるのです。
判断基準を共有する
制約を言語化して見つけたら、次はそれをどう扱うかが課題となります。短期的な数字を守るために目をつぶるのか、全体の流れを整えるために制約の解消に動くのか、リーダーを中心にチームとして判断していきます。判断の基準が共有されていなかったり、責任の所在があいまいだと、改善の優先順位は揺らぎます。
よくあるのが、上層部が掲げるKPIなどの数値・達成目標と、現場のメンバーが抱く実感とのギャップです。上層部は結果ベースで、現場は作業ベースで動くため、このギャップは非常に起こりやすく、どんな企業でも見られます。この異なる2つの価値観を翻訳するのがマネージャーやチームリーダーなどミドルマネジメントの役割ですが、簡単な仕事ではなく無理が生じてしまうことが少なくありません。売上や利益などの目標を達成している組織でも、現場の流れが改善されずにメンバーが疲弊して辞めていったり、一部の効率化が他の工程にしわ寄せを起こしているといった事例がよくあります。こうなってしまうと、どう考えるのが正しいのか、誰も説明できず、判断も下せません。
他方で『ザ・ゴール』が伝えるのは、単なる数値目標ではなく「全体として価値をどのように高めるか」を共通の物差し、すなわち「価値の生まれる速さ」「滞留している作業量」「維持にかかる負荷」の3つの指標を使って全体を捉える考え方です。これを出発点に、判断基準を共有していきます。
判断基準を共有するとは「いま何を優先すべきか」を組織が一丸となって考える習慣をつくることです。制約の扱い方を議論する過程で、組織は目的や理念を再確認し、流れの方向を揃えます。与えられた正解・模範解答はありませんが、組織が見つかった制約に対してどう行動するかを決める「判断基準」を揃えようとする対話そのものが、業務改善の風土を育てていくのです。「下っ端の自分には関係ない」と見て見ぬふりをする人が多い組織と、誰もが自分事として考えて制約を解消するために動き始められる組織と、どちらの文化・風土が長期的に強い組織につながるでしょうか。
流れを設計するマネジメント
制約を見つけて判断基準が共有されたら、いよいよ流れをどう設計するかが焦点になります。実際のビジネスでは短期的利益を優先するなどの目的で制約をそのままにしておく場合もあります。しかし、ここでは制約の解消に向けて、どこをどう動かせば全体が滑らかに流れるかを考えていきます。『ザ・ゴール』が描くマネジメントの本質を現代的に表すと「流れを設計する」ことになります。流れは偶然には整いません。放っておけば、どこかが滞り、どこかに余力が生まれ、バランスが崩れます。だからこそ、マネジメントは人を動かす前に「流れを設計する」ことが必要なのです。
流れを設計する
リーダーが意図を持って流れを設計することで、チームは同じ方向に進むことができます。一方で、個々がどれだけ努力しても、全体の流れに関心が向けられていない組織では、スピードも品質も上がりません。マネジメントとは指示や統制ではなく「価値」がどの順番で・どんな経路で顧客に届くのかを描くことなのです。
流れを設計するとは、チームの動きを線としてつなぐことです。個々のタスクや担当者を点として見るのではなく、成果までの一連のプロセスを俯瞰し、どの段階で詰まりが生じやすいか(発見された制約が生じているか)を把握します。設計とは、先回りして障害を減らす思考であり、偶然の停滞を防ぐ準備でもあります。リーダーがこの視点を持たないと、組織は「努力しているのに進まない」状態に陥ります。
優れたリーダーは、メンバーとの対話の中で流れを設計します。メンバーに意図を伝え、現場の実感を反映させながら、流れを現実に合わせて更新していくのです。このような継続的改善の考え方は、めまぐるしく変化する現代のビジネス環境では欠かせません。
対話を通じて流れを整える
流れを設計したら、その意図をチームに共有して実際に流れを整えます。制約を活かして全体を調和させることで、全体の流れが滑らかになります。やがて新たな制約も発生するでしょう。その制約は、想像もしていなかったところに発生するかもしれませんし、やはりまた目に見えないかもしれません。しかし、それは成長の証です。心理的安全性が確保され、活発に対話が行われている組織であれば、新たな制約もすぐに誰かに発見され、共有されるでしょう。こうして、制約を見つけ、流れを設計し、整えるサイクルが組織の中で絶えず回り続けていくのです。制約を通じて組織のシステム全体を理解する循環的な構造でもあります。
皆さんの組織で、もし対話が少ないなと感じられるとしたら、まずはメンバーとの1on1を始めてみるのが良いかもしれません。良い関係性と対話こそが、制約を発見・解消し、流れを設計して整える組織の基礎です。対話ができるようになってきたら『ザ・ゴール』の読書会を開くのも良い方法です。ぼく自身もメンバーとの読書会を通じて、組織の目的や制約といった重要な考え方を、共有しながら深く理解することができました。皆さんにもお勧めしたいと思います。
まとめ
『ザ・ゴール』が描くのは「詰まりをなくす」技法ではありません。ここまで見てきたように、制約を通じてシステム全体を理解し、限られた資源の中で最大の成果を生み出すための思考法こそが真髄です。
どんな組織にも、時間・人員・資金・意思決定といったさまざまな制約があります。「障害」とみなして排除しようとされがちですが、ゴールドラットが示したのは逆でした。制約は、システムの最も重要な箇所を教えてくれる「信号」であり、そこを中心に考え直すことで全体の整合が取れていくと考えたのです。類似した事例では、ソフトウェアテストで見つかった不具合(バグ)を、修正しなければならない「障害」ではなく、プロダクトの提供価値を高めるための「信号」のように扱っている企業も存在します。
この考え方を実践するには全体最適の思考、すなわち全体を一つの流れとして見ることと、制約を「発見」するだけでなく「対話」しながら扱うことが必要です。チームが互いに信頼し合い、率直に話して共有できる関係性を築くことが、制約を動かす第一歩になります。
『ザ・ゴール』の教えを今日的に言えば、マネジメントとは「流れの設計と関係の設計」を同時に行う営みです。数字を管理するだけではなく、流れを観察し、そこで働く人たちの判断基準をそろえ、対話を通じて一貫した行動を導くこと。その地道な営みが、結果として持続的な成果を生み出します。制約を見つけて解消することよりも、制約を中心に全体を調和させることが本書の真意であり、現代のマネジメントにも通じる普遍の教訓です。
ぼく自身も本書を改めて読み直して「品質とは流れであり、関係である」という気づきを得ました。品質を高めるには、プロダクトの性能を上げるだけでなく、やはりプロセス改善がとても大切な取り組みですし、さらにそれを実現するための人と組織を整え、結果として価値が途切れずに流れるようにすることが欠かせません。『ザ・ゴール』は「流れを整える」という観点から、すべてのビジネスパーソンに気づきをもたらしてくれる名著なのです。
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今後の改善の参考にさせていただきます!











































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