キャリア
【連載】冒険者の地図:大企業とベンチャーを渡り歩いたQAエンジニア、河野哲也さんが説く「日本的品質管理」の重要性(後編)

株式会社ナレッジワークEngineering Unit - QA Group / QA Engineer河野哲也
工業高校卒業後、日本無線に入社、ハードウェアの品質管理に従事する。その後、電気通信大学夜間主コースに入学、ソフトウェア品質保証・テストを専門とし博士課程まで進学する。博士号取得後、2011年日立製作所に入社し、ソフトウェアのQAエンジニアのキャリアをスタートさせる。2017年ディー・エヌ・エー、2021年メルカリ、2023年ナレッジワークに入社。全てQAエンジニアとして従事する。著書『QA・テストがモヤモヤしたら読むITスタートアップのためのQAの考え方 (内製化失敗編/内製化成功編)』という2冊のシリーズをKindle版で出版。博士(工学)。
(前編はこちら)
20代前半に電気通信大学でソフトウェア品質保証の専門家である西康晴先生と出会い、そこからQA(Quality Assurance:品質保証)の世界にどっぷりと足を踏み入れた河野哲也さんは、やがてアカデミックの世界を離れ、日立製作所に就職する。
そこではソフトウェアのQAエンジニアとして精力的に働く一方で、巨大組織の論理についても身をもって痛いほど知ることになった。
入社から6年が過ぎた頃、河野さんはディー・エヌ・エー(DeNA)への転職を決意する——。
真逆の会社に行きたかった
日本を代表する大企業からメガベンチャーへ。このキャリアチェンジには河野さんの人生哲学が大いに関係する。
「いろいろな具材が入っている食べ物はおいしいじゃないですか。人生も同じで、たくさんの具材があったほうがいい。つまり、さまざまな経験をしたほうが豊かに生きられるだろうなと考えています。であれば、(日立製作所とは)真逆の会社に行けば学ぶべきことは多いはずだと」
もちろん、ビジネス的な観点もある。DeNAの主力事業であるスマートフォン向けサービスは将来の伸び代があると考えたからだ。ただ、いざ働いてみると、カルチャーギャップに面食らうことが多かった。
「日立だと社内のメールやチャットでは『お世話になっております』から入るけど、DeNAだと『お疲れさまです』。後は、役職名ではなく、誰に対しても“さん”付けで呼ぶところや、Tシャツで会社に行くのもなかなか馴染めなくて。後々、同僚に聞いたら、河野さんはいつまで持つかなと噂されていたみたいでした」
最初はそれくらい浮いた存在だったようだ。
現場仕事を望んでいた河野さんは、一QAエンジニアとしてDeNAに入社した。ところが、配属されたチームのリーダーが早々に異動となり、唯一の正社員だった河野さんが業務委託先のベンダーなど20人ほどのマネジメントをやることに。それまでマネジメント経験はなかったため、見よう見まねで予算管理などを行った。必ずしも本意ではなかったが、学ぶべきことは多いと頭を切り替えた。
旗振り役としてQAの基礎を浸透させる
そうした中、QAのリードエンジニアとして新規プロジェクトに携わることになった。実は、自身初となる新サービスの立ち上げだったため、河野さんは非常に気合いを入れた。
基本的にこれまでのDeNAでは、ありものの手法を集めてきてQA業務を回していたそうだが、河野さんは一からQAの土台作りにまい進したのである。サービス開発者と一緒に議論しながらQAのプロセスを作ったり、メンバーのアサインにも積極的に取り組んだりした。
「例えば、バグチケットを起票するときのテンプレートや、テストの計画書・報告書の時のフォーマットなどについて、開発者とコミュニケーションを取り、一つ一つ調整しながら作成していきました」

入社して1年ほどで先のチームマネジメント業務は終わったため、リードエンジニアの役割に集中できるようになった。加えて、新たに部門横断の改善活動にも関わり始めた。その活動とはどんなものなのか。
「QAの世の中で当たり前に言われていることが、社内ではできていなかったのです。そこでQAのデータを可視化しましょうとか、テスト観点みたいなものを共通的に使えるものを整理しましょうとか。僕が旗振り役として進めました」
この辺りは長年QAの世界に身を置いていることもあり、他のメンバーよりも一日の長がある。その後もテスト自動化の導入や、他の新規プロダクトのサポートもするようになった。
八面六臂の活躍を見せていた河野さんは、QA部門の教育も担当することになった。きっかけは、社内のメンバーと話をしたとき、QAやテストに対する認知が低く、基礎的な学習が必要ではないかと痛感したためだ。
「上司に掛け合って、プログラムを書いている人たちへこういう教育をしたほうがいいと発案したら、ぜひやってほしかったと言われてスタートしました」
そこでエンジニアに向けたテスト設計のセミナーやワークショップを開催。トータルで3、4回ほど実施し、毎回20人くらいが集まった。後日、その取り組み内容はQA業界のカンファレンス「ソフトウェアテストシンポジウム(JaSST)」などでも発表した。
こうして河野さんはQAレベルの底上げに貢献した。その甲斐あってか、今でも当時のメンバーに「河野さんと仕事を一緒にして良かった。何かチャンスがあれば、もう一度仕事したい」と言われるそうだ。
サービスのQAは成功したが……
人材育成にはやり甲斐を感じていたが、本来はプレイヤーとしてバリバリと働くために入社したはず。初心に立ち返った時、このままでは現場の腕が鈍ることを危惧した。
加えて、自らが手塩にかけて立ち上げたサービスが終了になった。これも大きな引き金となり、退社を決める。
「サービスを一から作る中で、QAはうまく回ったし、開発も非常に成功していました。ただ、ビジネスがうまくいかないとサービスは続かないんですね。残念ながら」
2021年4月末、河野さんはDeNAを去る。次の行き先として選んだのは、飛ぶ鳥を落とす勢いだったメルカリである。
何でも屋として奮闘
メルカリに転職したのは、以下の理由である。
(1)外部ベンダーなどに業務委託せず、基本的には正社員だけでQAの組織を回している
(2)英語を使う環境で働きたい
(3)一QAエンジニアとして仕事ができる
入社してまもなく新規プロダクトの立ち上げにアサインされた河野さんは、さっそく外国人のチームメンバーと仕事をすることに。英語を駆使しながらQAをスムーズに回すための体制作りに没頭した。プロジェクトの後半ではエンジニアと共にテスト自動化に取り組んだり、QAに関わるすべてのハンズオン業務に当たったりした。
1年ほど経つと、メルカリ本体のリプレイスプロジェクトが動き出したため、そちらのQAを見ることになった。バグがたくさん出ている状態を立て直すべく、バグの再現性の確認、ユーザーのフィードバックの選別や優先順位付けなどを行なった。
約3カ月間かかってようやくタスクが落ち着いたと思ったら、今度は別のプロジェクトのQAが佳境で人手が足りないということで、テスト実行の要員に駆り出された。専門スキルがある人材によくありがちなことだが、ご多分にもれず河野さんも自分の意思とは関係なく、何でも屋として奮闘する状況だった。

そんな環境下だったが、メルカリではさまざまな経験を積むことができたと振り返る。河野さんがいの一番で挙げたのは英語業務だ。
「英語に対するアレルギーはなくなりました。日常的に話したり、書いたりするのは大きい。言葉の使い方も広がりました。教科書に出てこないようなフレーズをたくさん習得できました」
他方、外国人と日本人の違いについても肌で感じることがあった。
「外国人の仕事のスタイルや技術的な高さはすごいなと思うところがありました。ただ、日本人のような繊細さはなかったですね。メルカリは日本人向けのプロダクトなので、ユーザーは細かなところまで気にします。QAエンジニアとしてはそこまで配慮しないといけませんが、その辺りが弱いなと感じました。バグを見つける能力は日本人のほうが優れていると思います」
そして、ナレッジワークへ
これまでのキャリアにはなかった経験を積むことができ、その過程でさまざまなチャレンジをしてきた。ただし、「もう潮時かな……」という気持ちが芽生え、自身の意志で熱を込められる挑戦を求めた。その結果、3度目の転職を決断する。
そして2023年5月からは営業支援ツールなどを提供するナレッジワークに籍を置いている。会社の儲けよりも顧客、顧客よりも社員やその家族を大切にする経営理念に強く惹かれて入社した。
他にも入社を決めた理由はいくつかある。
まずは、会社が大きく成長するプロセスを経験したいと思ったから。
「まだ50人くらい(入社当時。記事公開現在は100人弱)の会社なので、今後、小さい組織から大きな組織に育っていく過程を間近で見ることができます。これは今まで働いた会社では味わえませんでした」
また、できなかったことができるようになるという「Enablement」の考えにも共感した。
「僕の人生を支えてきたものがEnablementなんです。できないことが可能になるという喜びがあったから、これまでのキャリアの苦境を乗り越えてきました。だから仕事をする上でもEnablementに対する納得感は強いです」
加えて、会社の成長フェーズとともに大きくなるであろうQAの組織作りにも携わりたかった。
「僕は4人目のQAメンバーとしてジョインしました。今までの会社ではある程度QA組織は成熟していたため、自分の経験で足りないのはQAの組織作りでした。また、ナレッジワークCEOの麻野(耕司)は組織作りのスペシャリストだと知っていたので、そのような環境で組織を作れるのは得難い経験になると考えました」
入社から半年が経ったが、社風にも満足していて、充実した日々を送っている。
日本的品質管理を学ぶべき
QAエンジニアとしていくつもの会社を渡り歩き、酸いも甘いも知り抜く河野さん。もはや百戦錬磨といっても過言はないが、それでも日々精進は欠かせない。
現在学び直しているのは「日本的品質管理」の概念や歴史。例えば、自動車メーカーをはじめとする日本の製造業は、これまで職人しかできなかったことを誰でも可能にした結果、信頼性の高い商品を量産し、かつ安価に提供している。
「これは日本的品質管理がベースになっています。先人たちが培ったものを我々は勉強した方がいいと思います。特にQAエンジニアとしては体系的に学ばないといけない」と河野さんは話す。
このように考える背景には、QAの定義に対する違和感があるからだという。
「特に欧米では顕著ですが、QA=テストという考え方が主流です。日本のQAエンジニアでもそうイメージしている人は少なくない。でも、日本的品質管理において、それは3本柱の1本に過ぎません。QA部門の仕事のもう一つは、開発やものづくりの上流工程で最初から品質を作り込む活動。最後の一つが、ユーザーの使用状況を調べたり、問い合わせを受けたりする役割です。この3本がそろって初めてQAなのです」
日本のQAエンジニアにはこの日本的品質管理を理解してもらうと同時に、もっとスキルを磨いてほしいと河野さんは訴える。その手段として河野さんが勧めるのは論文を書くことだ。
「目の前にある問題解決方法をきちんと言語化する。そこが圧倒的に弱いと感じています。日本のQAエンジニアは、産業界向けのカンファレンスでレポートをあまり書かないし、業務説明もうまくできていません。言語化して整理することで、問題の本質がきっと見えてくるはず」
裏を返せば、書くことで課題解決力が身に付くというわけだ。
この点は海外のエンジニアを見習うべきだという。彼らはいくつもの論文を書き、博士号を取得している人も多い。「キャリアの深さがまるで変わってきます。日本もそれを目指さないといけません」と河野さんは力を込める。
ニコッと笑いたい
この先の展望はどのように考えているのだろうか。
QA業界において河野さんら40代後半の世代は、若い時から切磋琢磨したり、カンファレンスなどで共に登壇したりする戦友のような間柄の人が多いそうだ。その一員として、今後のQA業界をけん引していく気概を持っている。そして、2023年10月に逝去した恩師・西先生の意思を継ぎ、新たな時代を切り開いていく所存だという。

一方で、河野さん個人としてもやりたいことはまだまだある。50歳を一つの区切りとして、複数社で兼業するような働き方に変えたり、起業したりする道も考えている。はたまた、研究者として大学に戻る可能性もあれば、外資系企業に勤めることも諦めてはいない。
なぜパズルのピースを埋めるように、新しい物事に挑戦しようとするのか。最後にそう尋ねてみた。
「やっておかないと、死ぬ間際に後悔すると思うからです。以前、清水吉男さん(ソフトウェア派生開発の提唱・実践者)が『死ぬ前にニコッと笑えるかどうか』とおっしゃっていました。僕は笑って最期を迎えたい」

株式会社ナレッジワークEngineering Unit - QA Group / QA Engineer河野哲也
工業高校卒業後、日本無線に入社、ハードウェアの品質管理に従事する。その後、電気通信大学夜間主コースに入学、ソフトウェア品質保証・テストを専門とし博士課程まで進学する。博士号取得後、2011年日立製作所に入社し、ソフトウェアのQAエンジニアのキャリアをスタートさせる。2017年ディー・エヌ・エー、2021年メルカリ、2023年ナレッジワークに入社。全てQAエンジニアとして従事する。著書『QA・テストがモヤモヤしたら読むITスタートアップのためのQAの考え方 (内製化失敗編/内製化成功編)』という2冊のシリーズをKindle版で出版。博士(工学)。
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