キャリア

【連載】冒険者の地図:SEから営業職、そしてQAエンジニアへ……異色の経歴を持つ株式会社AbemaTV・木村公一さんが目指した“世界”(前編)

株式会社AbemaTVDemelopment Div.木村公一さん

縁の下の力持ち

「AMD Award」、「広告電通賞」、「日本雑誌広告賞」、「日経広告賞」……。日本のクリエイティブ業界を代表するアワードにおいて、2023年に数多くの表彰を受けたサービスがある。

それは、サイバーエージェントグループが提供する動画配信サービス「ABEMA」による、『「FIFA ワールドカップ カタール 2022」全64試合無料生中継』だ。ABEMA史上最多となる全13部門での受賞となった。

このW杯を一つの契機にして、ABEMAは飛躍的な成長を遂げた。一週間のアクティブユーザー数(WAU)は前年比で240万WAUの底上げとなり、2023年4Q平均は1879万WAUに。

(出典:サイバーエージェント 2023年通期決算説明会資料)

このようにユーザーが心地よく、かつ安定的に視聴できるよう、サービス品質を支えているのが、AbemaTVのQA(Quality Assurance:品質保証)チームである。

このチームを率いる木村公一さんは、「この成果は私一人の力によるものではないし、一朝一夕で構築できるようなサービスでもない。このQAチームを作り上げるために、何度も壁にぶち当たりながら、一つ一つ乗り越えてきた」と振り返る。

そしてまた、現在に至るまでの人生も、決して一本道ではなかった。SEから営業に転身、そこからフリーターを経て、QAエンジニアに。木村さんが歩んできたキャリアを紐解いていく。

高専でアルゴリズムを研究

1987年4月、山口県で生まれた木村さんは、昔からPCを触るのが好きで、中学生の時にはクラスでもITやネットに詳しいといわれるタイプだった。

中学校を卒業すると、地元の徳山工業高等専門学校(徳山高専)へ。徳山高専ではコンピュータや通信、情報処理を基礎から応用までを一通り学び、システムの仕組みに対する理解を深めた。これは後にQAエンジニアとして働く際にも大いに役立っているという。

さまざまな学問領域の中で、木村さんが特に関心を持ったのがアルゴリズム。卒業研究もそれをテーマにした。

「アルゴリズムの勉強はパズルを組むような感じで面白くて、好きでしたね。状態遷移表を自動で生成し、そこから図形を作るようなアルゴリズムを研究していました」

SEから営業に転身、独学でスキルアップを図る

2008年4月、大手電機メーカーのSIer(システムインテグレーター)に就職した木村さんは上京。SEとして働き始めた。初年度はBI系システムのグループに配属され、顧客の在庫管理システムの保守業務などにあたっていた。翌年度からは千葉にある大学にIT機器を導入するための技術支援などを担当した。

ちょうどその頃、日本でもiPhoneに代表されるスマートフォンが急速に普及し、ビジネスシーンでも活用しようとする機運が高まっていた。スマホを業務で使うならば、セキュリティなどの観点からクラウドサービスが必要になると考えた木村さんの会社は、ソフトバンクと業務提携し、iPhoneとクラウドサービスをセットにしたソリューション提案を始めた。その要員として、2011年1月から木村さんはソフトバンクに出向する。

そこでの役割は、SEではなく営業。所属元の担当者と共に既存顧客を回った。「プリセールスでもあり、技術支援でもあり、いろいろなロールがあって大変でした」と木村さんは苦笑いする。大変だったのは業務上の役割だけではなかった。当時、千葉県成田市に住んでいた木村さんは、汐留にあるソフトバンク本社ビルへ通勤するのに片道2時間ほどかかることに加えて、業務も多忙を極めていた。

初めての営業職はどう感じたのだろうか。

「営業って、相手に行動を促すコミュニケーション能力が必要じゃないですか。具体的には商品を買ってもらう、システムを導入してもらう。そのためのコミュニケーションは独特の技術でしたね」

最初は戸惑いもあった。ただ、根っからの負けず嫌いである木村さんは、数十万円を自己投資して営業研修セミナーに通った。そこでスキルを身に付け、実践で磨いていった。

「人と仲良くなるためのコミュニケーションと、仕事で成果を生むためのコミュニケーションは異なります。つまり、情報や感情を共有するコミュニケーションと、アクションを起こさせるコミュニケーションの違いをトレーニングで知り、営業現場で応用していきました」

なお、仕事などで壁にぶつかったとき、他者や書籍などから学ぼうとするのは、木村さんの一貫した姿勢である。「目の前にある壁って、私が人類で初めて経験するということはまずない。先人の知恵を借りて解決するのが早いのです」と木村さんは飄々と語る。

営業スキルはぐんぐん伸びていった一方で、毎日のハードな生活はきつかった。出向してから1年弱で退職を決断。フリーターになった。なぜフリーターだったのか。

「実はこの時に副業をやっていました。海外から商品を仕入れて売る、輸入販売ビジネスですね。この売り上げが毎月100万円ほど出ていたので、これはいけるのではと。若気の至りです(笑)」

営業成績トップのフリーター

フリーターになった木村さんは、すぐにセールスのアルバイトを始める。勤め先は、土木・建築関連の企業に対してシステムを販売するソフトウェアベンダー。電話やメールなど非接触のアプローチによって営業するというものだった。

ソフトバンク出向時代に培ったスキルを武器に、木村さんは実績を積み重ねていく。個人の売上高は月に1000万円前後、年間では1億円を超えていた。文句なしのトップ営業マンだった。

そこまでの成果を上げる木村さんの武器や強みは何だったのか。

「相手がどういう課題を持っているのかを、いろいろな情報から推察して、それを擦り合わせていきます。相手にも同様に問題意識も持ってもらわないといけませんから。『これは問題ですよね、だから解決しましょう』といった意識共有には力を入れていました」

稼ぐフリーの営業として3年ほど働いたが、20代後半に差しかかり、「さすがにこのままフリーターではカッコ悪いよな……」と思った木村さんは、転職活動を始めることに。得意スキルを生かして営業職で探す選択肢もなくはなかったが、自分が転職マーケットで最も高く売れる方法を考えた末、エンジニア職に絞って活動した。

「ただの営業職よりも、営業スキルを持ったエンジニア職の方が希少だろうと思いました。それならば(ブランクがあっても)勝負しやすいし、市場にも高く売り込めるはず。あとは、エンジニアであれば、手に職をつけられるのも強いですし」

転職活動を進めていくと、ある企業から「業務委託契約だが、サイバーエージェントの案件がある」と勧められた。木村さんは直感で「おもしろそうだ」と飛びついた。その募集職種はQAエンジニアで、これまでに経験のない仕事だったが、木村さんは迷わずトライすることを決めた。

QAエンジニアとしての壁にぶつかる

2015年4月、QAエンジニアとしてのキャリアをスタートさせた木村さんは、サイバーエージェントグループの「SMAq(スマック)」という部署に配属された。ここは主にスマホサービスのデバッグ業務を専門とする組織で、さまざまなメディアの新規立ち上げをサポートしていた。

右も左も分からない、QAエンジニアの初仕事。ただし、業務内容には物足りなさと歯がゆさを感じていた。

「最初は仕様書通りの動作をチェックするようなことしかできませんでした。もちろん知識やスキルが足りないからですが、それだとQAエンジニアとしてプロジェクトに入る意味はまったくないなと。同じ作業が、ディレクターやプロジェクトマネジャーが手元でできちゃうわけです。QAエンジニアとして価値を出すために、何ができなければならないのか。壁にぶつかりましたね」

その壁を乗り越えるのは、やはり自己研鑽しかない。営業職に就いた時と同様、木村さんは先輩社員に教えを請うたり、書籍やネットなどから学んだりした。

「当時のQAチームには、マネジャーや、私みたいな業務委託のQAエンジニアがいたので、彼らにどんどん質問をしました。後は、自分がぶつかっている課題に対して、ネットで探しましたね。ソフトウェア品質保証の第一人者といわれる西(康晴)先生が書かれた考え方や技法などが出てくるので、それを読んだりしました」

まずはQAに関する知識を断片的に集めていき、体系化することに努めた。そうすることで、QAエンジニアとしての自分なりの“型”を作ろうと考えたのである。地道な取り組みではあったが、徐々に業務の幅が広がり、任される仕事も増えていった。

ABEMA新規立ち上げの誘い

木村さんに転機が訪れたのは、15年12月ごろ。QAエンジニアの仕事が多少は板についてきた時期のことだった。SMAqの部門マネジャーから声をかけられる。

「ちょっと大きなプロジェクトをやってみないかと。しかも、社運を賭けたようなすごく巨大なプロジェクトだと。一体どういう仕事が来るのだろうと思っていたら、新しいメディアを立ち上げるという話でした」

それがAbemaTV(現ABEMA)だった。

16年4月の本開局に向けて、木村さんはQAエンジニアとして参画した。人生において初めての新規大型プロジェクトの立ち上げだった。特に苦労したのはどこか。

「私はWebサイトと、AndroidおよびiOSアプリの立ち上げ、放送する番組を納品するバックエンドの管理ツール、この4つのシステムのQAを担当していました。これを一人でやるのは当然無理だったため、アシスタントの人にも入ってもらいました。ただ、自分自身で手を動かすのではなく、『こういうアウトプットを出してほしい』と他のメンバーに伝えて、実際に作ってもらうのは難しかったです」

初めてのマネジメント業務に加え、開発案件に忙殺される中で、木村さんは苦悩することとなった。

「まだマネジメント経験もなく、コミュニケーションがうまくいかないことも多々ありましたね。“できる”という基準が人によってバラバラで、自分がイメージするアウトプットとのギャップに苦しみました。チームをマネジメントする前に、自分の感情のコントロールやアンガーマネジメントに苦労しました」

とはいえ、ローンチまでの期日は迫っている。毎日無我夢中で開発に向き合い、ひたすらマンパワーで開発を推し進めた結果、何とか本開局にこぎつけた。

当初、木村さんはABEMA本開局までの任務だったが、ローンチ時の働きぶりなどが評価されたのか、その後もABEMA専属のQAチームメンバーとしてサービスに携わることとなった。

そうしたこともあり、木村さんはサイバーエージェントで働きたいという思いが日増しに強くなった。マネジャーなど上司とコミュニケーションを取るたびに、社員にして欲しいとアプローチをかけていった。

木村さんの願いは届き、17年4月、晴れてサイバーエージェントの正社員となった。ただし、同じタイミングでABEMA1周年の大型キャンペーン企画がスタートしたため、喜びに浸っている暇はなく、木村さんにとって壮絶な船出となった。

後編に続く

株式会社AbemaTVDemelopment Div.木村公一さん

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