キャリア

【連載】冒険者の地図:開発現場の無駄をなくしたい! 品質管理エキスパートの熊川一平さんが行き着いたのは「組織風土の改革」(後編)

品質管理エキスパート熊川一平

行政機関で品質管理エキスパートとして勤務する傍ら、兼業個人事業主としてさまざまな企業・団体向けにコンサルティング、アドバイザリー、教育、スクラムコーチなどのサービスを提供。前職は大手SIerでソフトウェアテスト、品質管理、プロセス改善の専門家として、研究開発や技術支援に従事。社外講演、記事執筆なども行い、JaSST(ソフトウェアテストシンポジウム)やSQiP(ソフトウェア品質シンポジウム)で多くの賞を獲得。

前編はこちら

QA(品質保証)分野の第一線で活躍する熊川一平さんのキャリアをひも解く本連載。前編では、大手SIerに新卒入社してすぐに直面した開発現場の諸問題に対して、改革の声を上げた経緯などをお伝えした。

後編では、そうした実績を引っさげて挑んだ大規模プロジェクトでの苦闘と成果、その後に生まれた心境の変化、そして退職の決断などについて、熊川さんの歩みと共に振り返る。

「バグは出るものです」

ある年のこと、地方自治体の大規模システム構築プロジェクトを受注したグループ会社から、「助けてほしい」と相談があった。スタート時から計画の遅れが生じていたため、熊川さんに声がかかった段階で既に納期、品質、コストなどが相当に厳しい状況だった。

まずは1週間ほど現地に出張して、要件定義をはじめとする大まかな方針を検討した。しかし、その後も「あと1週間だけ」などと延長依頼が続いた結果、最終的に約1年半も滞在することになった。

そのプロジェクトにおいて、熊川さんに課せられたミッションは、いかに短期間でシステム開発のテストを乗り切るか。そこで取った手法がリスクベースドテストと探索的テストだった。

「極端にリスクが高く、なおかつ工数と人数は限られていました。いかにしてリスクを低減するかが重要だったため、リスクベースドテストを採用しました。しかも、地場のベンダーにしか委託できない制約がありました。一から計画を立てて、その人たちに教えていってもリスクが残るので、探索的テストという効率的な方法を導入したわけです」

かなり特殊な条件だったが、裏を返せばこうしたテスト手法の効果をアピールする絶好の機会だった。

とはいえ、ことが簡単に進むわけではない。熊川さんが特に苦労したのは、ステークホルダーとの合意形成である。

「お客さんをはじめ多くの人たちには、バグを許してはならない、トラブルは起こしてはいけない、といった考え方がベースにありました。遅延があったにもかかわらず、少しのリスクも許容できない、あらゆるバグを防ぐためにテストは全件やれ、でも遅延は巻き返してほしいなどと言われることもありました」

そうした要求に対して、「バグは出るものです」「工期から考えて、できないものはできません」「バグゼロを目指すのではなく、限りあるリソースで効率的にリスクを下げていくことを目指しましょう」と、熊川さんは一つ一つしぶとく向き合っていった。そのために必要なレクチャーも繰り返した。徐々に顧客も熊川さんの意見が建設的であることを理解し、最終的に合意形成が図られることとなった。途中で心が折れることはなかったのか。

「この問題の本質は、かつてやっていたマーカー塗りと同じです。バグを出してはいけないというのは、何ら論理的ではありません。全件テストをやりなさいというのも、何を持って全件なのかという論理がない。だから私はそれを受け入れられません。きちんと論理的に解けるのか、解けないにしても、思考停止して昔からのやり方を続けるのではなく、建設的なアプローチをすることを追求する考えが私の根底にあるから、絶対に引くことはできないのです」

幸いなことに、まだ傷の浅い段階で熊川さんがプロジェクトに入ったことで、少しずつ改善が進み、テスト工程では完全に遅れを取り戻した。カットオーバー後もトラブルは起きたが、大きなリスクは負わないようにあらかじめ設計されていたため、システムはほぼ正常に稼働し続けた。

こうした難局を乗り切ったことで、以降、“再建請負人”として、トラブルを抱えたプロジェクト案件に熊川さんは頻繁に呼ばれることになった。

開発標準を変えようと奔走するも……

熊川さんの読み通り、新しいテスト手法での成果は注目を集めることとなった。探索的テストは、まだ日本ではあまり普及していない頃から取り組んだため、「JaSST」などのイベントで表彰を受けることが増えた。熊川さん自身にとっても自信につながった。

一方で悩みもあった。巨大組織であるが故、テストによる成果の社内波及は限定的だった。

「リスクベースドテストや探索的テスト、自動テストなどの手法は、会社の中でも一定レベルではスケールしましたが、これらによって例えば90%の組織が変わりましたかというと、そうではありませんでした」

そこで熊川さんは、テスト以外の領域にも目を向けた。最初に手をつけたのは開発プロセスの改善である。

「世の中には開発標準が山ほどあって、昔のエンジニアに話を聞くと、なぜそれを行うのかについて語れる人がそこそこいます。けれども、開発標準があることが当たり前になってから入社した人は、その標準に従うことがルールなので、なぜそうするのかを考えてきませんでした。入社した時の私もそうです。だからこそ、標準を変えてあげないとエンジニアは変われないと考えました」

言うは易く行うは難し。多くの人たちにとっては、わざわざ新しい開発標準に乗り換える動機がなかった。例えば、CRUDマトリクス一つとっても、なぜその設計が必要なのか、マトリクスを使うことにどんな利点があるのかが分からない。そんな現場が多い状況では新たな開発標準の魅力は理解してもらえなかった。むしろ、乗り換えることのほうが面倒だと思われてしまったという。

こうした状況を目の当たりにした熊川さんは、そもそもの「教育」をしなければならないことに気付く。

人材育成のための教育、そして組織風土の改革へ

エンジニアのリテラシーを向上するべく、自社および協力会社の従業員およそ数十万人を対象に学習機会を提供し、新しい技術の良さなどを実感してもらう活動をスタート。具体的には、ちょっと手が空いた時や隙間時間に勉強できるよう、短時間で実施できる学習コンテンツを作り、それをWebサイトに掲載していった。学びやすくなるよう学習順序を工夫したり、モチベーションが保てるようにゲーミフィケーションを参考にしたりもした。

そうした底上げのための教育とは別に、トップエンジニアを育成する社内プログラムにおいて、テスト・品質分野の講師も務めた。

このように、大手SIerでのキャリアの終盤は人材育成に関わる機会が増えていった。

「解決すべき問題を深掘りして考えていったら、結果、人材育成の優先順位が上がってきました。最初からそれを目指していたわけではなく、たまたま人材育成が必要だとなっただけです」

ただし、人材を育てるだけでは限界だということも同時に痛感した。

「勉強できる環境を作ったことで、実践してくれたエンジニアは伸びました。一方で、まったくやらないエンジニアもいました。いかに勉強が手軽にできる環境があってもやらないんです。トラディショナルなやり方から離れられないから。その違いは何なんだろうと考えたとき、所属している組織の風土や文化の違いが影響することが分かりました。それを変えていかないと駄目だと」

組織の外に飛び出すことを決意

自社のような巨大組織が変われば、IT業界全体がドミノ倒しのように変化していき、世の中のエンジニアがもっと効率的に働けるようになる、熊川さんにはそんな目論見があった。そうした期待を持って取り組んでいたわけだが、いざ対峙すると、巨大な組織を変えるためにはいくつもの高いハードルがあり、一筋縄ではいかないことを思い知った。

さまざまな葛藤の末、最終的には自分自身が外に出ることで、改革の裾野を広げるべきではないかと悟った。そうした矢先に、行政機関からのオファーが舞い込んだ。

2023年3月末、熊川さんは長年勤めた大手SIerを退社して、行政機関のQAエキスパートとしての業務と共に、組織コンサルティングなどを手がける会社を立ち上げる。現在はそこで奮闘する日々を送っている。

エンジニアから無駄な作業を取り除くことが使命

最後に、QAの第一線を走る者としての使命感を尋ねた。熊川さんは、論理的、建設的でない仕事からあらゆるエンジニアを解放する、そのための貢献が一番大きいと断言した。

「エンジニアは誰一人として無駄なことはやりたくない。でも、大多数が無駄だと思っているのに、それを捨てられない現実もあります。それを変えるには品質の目線を持ったQAの専門家が適任だと思います。専門家が『これをやっても意味がないですよ』と助言するのはすごく説得力がある。無駄だというお墨付きを与え、別の方法を実践して、効果を出していく。QAの専門家にはそれを目指してほしいし、自分もその一員としてリードしたい」

そのための啓蒙活動は今まで以上に力を入れていきたいという。ただし、エンジニアの小さなコミュニティーで叫んでいても意味がないし、1人、2人の育成をするだけでは追いつかない。例えば、「JaSST」のような影響力のある場所で発言するなど、大きなうねりを作るための取り組みが不可欠だと熊川さんは強調する。

開発業務が飛躍的に効率化し、日本でも優れたサービスが次々と生まれてくる。そうした未来を創るために、熊川さんの活躍のフィールドはまだまだ無数に存在するはずだ。

※本記事内の記載や発言内容は、個人の見解であり、所属組織の見解ではありません。

品質管理エキスパート熊川一平

行政機関で品質管理エキスパートとして勤務する傍ら、兼業個人事業主としてさまざまな企業・団体向けにコンサルティング、アドバイザリー、教育、スクラムコーチなどのサービスを提供。前職は大手SIerでソフトウェアテスト、品質管理、プロセス改善の専門家として、研究開発や技術支援に従事。社外講演、記事執筆なども行い、JaSST(ソフトウェアテストシンポジウム)やSQiP(ソフトウェア品質シンポジウム)で多くの賞を獲得。

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